君が望む永遠(アニメ版)
アニメ原作:アージュ
 ドラマ・恋愛  多重恋愛錯綜劇  全7巻 
発売:メディアファクトリー

「君が望む永遠(アニメ版)」とは?

 「多重恋愛アドベンチャーゲーム」と銘打ち、今でも根強い人気を誇っているアージュ作品「君が望む永遠」。今回はそのアニメ版をご紹介しましょう。ゲーム本編では約4時間たっぷりかけて第一部の甘く切なくて幸せだった日々が描かれていましたが、アニメ版でも丸々2話分を使っていて、その構造は健在です。ゲーム版で既にシナリオの筋を知っている大多数の人間にとっては、照れくさくもあり、微笑ましくもあり、そして…とてつもなく胸が苦しくなってしまうのです。なぜなら、この幸せな時間が、もうすぐ終わってしまうことを知っているから…あの丘で4人で撮った最初で最後の写真も、水月が誕生日に孝之を引き止めてねだった指輪も…いかん、それだけで、もう泣きそうです。あの悲劇の場面が近づくにつれて血圧も急上昇。事務的な警察の無線報告で語られたその名前は…も、もうだめです隊長!(誰?)涙で前がよく見えません!

 うおっほん、ま、まぁ感情論はこのくらいにして、アニメの技術論の評価としては…主となる作画にはこれといって不満はありませんが、副次的なカットでの人物のデッサンバランスが明らかにおかしい場面が所々あったのがチト残念です。動画のアジア発注製作の弊害でしょうか? あのBGMとともに始まる、EDスタッフロールのバックで流れる孝之の深い悔恨…ゲームでは描かれなかったこの場面の演出はすごく良く出来ていると思うのですが、できればゲーム同様の「音量」に変化をつけた演出をアニメ版にも入れて欲しかった。大音量で流れる「Rumbling Heart」で、もっと激しく心を掻き乱してくれっ!(って、アンタはマゾなのか?)…という風に、ゲーム版を知ってる人でも大いに楽しめます。あ、でも、これって激しくTV向きじゃないアニメですねぇ。週1放送で2週も前フリに使ったら普通の視聴者は引いちゃうし、緊張感も保てないとの懸念もあるのですが…

アニメ版ならではの見せ方というもの

 続いて第2巻。さっきまでの絶望はどこへやら、水月とのラブラブ半同棲生活の始まり。そんなわけで、ここからゲームの第二部開始です。孝之を独占したいと願う心と、自分では遙の代わりにはなれないという心との葛藤から来る、焦り・空回り・一人相撲…水月属性の私にとっては、まっこと辛いシーンの連続でござるよ…第3話の終わりまで、「遙が目を覚まさないまま眠っている」という説明を一切しなかったのも、面白い構成だと思います。アニメ版が初見の人にとっては普通のシーンなのかもしれませんが、ゲーム版を知っている人間にとっては、水月が時折見せる何かに遠慮してるような仕草とか、孝之を「お兄ちゃん」と慕っていた茜ちゃんの豹変と憎むような視線とか…分かっているけど敢えて語らないというのが、「遙のことを忘れたわけじゃないけど、必至に今を生きようとしてる孝之と水月」という構図を描く上で、良い効果を生んでいるのだと思います。

 ゲーム版では語られなかった、遙が目を覚ますまでに、いくつかの兆候があって茜ちゃんの葛藤があったことが描かれているのもポイント高しです。3年前のあの事故の日ちょうどに目を覚ます、という原作の設定を変更するだけの価値は十分にあったと思います。あっ、でも、遙ルートがメインになってるアニメ版では、茜ちゃんの抱え込んだ想いにどう決着をつけるつもりなんでしょうかねぇ…細かいツッコミを入れてみると、タコのマグカップのあのデザインはちょっと…なぜか背景のみでの出演となっている穂村さんは原作でも人気薄だったけど、そのブラックなキャラを活かして「まゆなゆ劇場」で大活躍!ゲームには出てこなかった、水月の勤務先の女性上司は、香月先生の役どころをさりげなくゲットして大活躍!実は、一番浮かばれないのは、途中退場して何のフォローもなかった天川さんなのかも?

ほんとうのたからもの

 更に続けて第3巻。ここでようやく、あの事故から1年間、遙が目を覚ますのを待ち続けてボロボロになっていく孝之と、その姿を見るに見かねた水月が孝之を支えてきた時間が語られます。なるほど。先に明るさを取り戻した現在の孝之の日常を描いてから、過去のボロボロだった孝之を描くことで、いかに水月の献身的な支えという存在が大きかったのかが分かる、という構造ですね。そして、茜ちゃんがなぜ水月を憎むようになったのかについても、効果的に演出できていたと思います。そのすべてを踏まえた上で、なお「鳴海さんは悪くない」と慕ってくれる茜ちゃんの複雑な心境。すべてを失って自暴自棄になって壊れていく水月。そんな水月を放っておけない慎二の葛藤…そして、遥が必死の思いで告げた最後の言葉…ゲーム版の名シーンをアニメならではの手法で上手く再現できていると思います。

 プレイヤーと主人公を同一の存在として認識して進行させる、ゲーム特有のルート分岐という概念を無くして1本道のアニメにしてみると、孝之の身の回りに起きる悲劇は全部得体の知れない運命のいたずらに翻弄されている、というように他人事のように見えてくるから不思議なものですね。ダメ人間というよりは「可哀相な人」にしか見えません。うーん、そこまで冷静になって「TVドラマ」みたいに見れてしまうのも、それはそれで問題があると思うんですけど…やっぱり、君望という作品はゲーム版のように、当事者として取り乱すほどに熱くなって、その罪も温もりも全てを引き受けて傷つく覚悟があってこそ、その選択に意味と重みを信じることができると思うのですが… 他人として観れてしまうアニメ版では、感情が沸点に達する前にシーンに流されてしまうので、涙爆発堤防決壊までには至らないのです。ゲーム原作のアニメとしては奇跡的に良く出来ている部類に入りますが、これはメディアの違いによる限界問題なので、「これはこれ」として楽しみましょう。

 ちなみに、アニメ版のエンディングは誰エンドになるのかは…ネタばれになるので明言は避けておきます。もっとも、DVDの特典で「ほんとうのたからもの」の絵本が付いているという時点で、ゲーム版を経験している方には一発で分かってしまうと思いますが…

First written : 2004/11/28
Last update : 2004/12/25