本日 昨日
Review circle gmken. He whispers some words in your heart, and makes your gentle OTAKU days.
GM研

 名作名言集

 最新情報

 2014/12/25(木) 「冬コミ(CM87)のお知らせ」

冬コミの配置は
火曜日(3日目)東地区”T”ブロック35a、です。


 皆様ごきげんよう。毎度おなじみコミケ前だけ更新のお時間です(クリスマス懺悔)。今回の冬コミで発行を予定していた新刊コピー本は、筆者体調不良により制作スケジュールが取れず、発行を延期する運びになりました(懺悔2回目)。

 代わりと言ってはナニですが、今回の冬コミでは新刊の素材として作成していたパーツをよりぬきした、無料ペーパーを発行いたします。お題は「この同人誌がしゅごい!2014」。A4両面仕様で、2014年に購入した約1200冊から厳選した、MVP作3本のショートレビューと、部門賞作品をご紹介します。ペーパーとしては多めにご用意していますので、もしお時間があればお立ち寄りいただければ幸いです。

MVP
・きりっぷるシリーズ/キノコ灯・日刊桐沢
・小さい駆逐艦に恋をしたでかすぎるクジラの話/ティンクルスター
・100CUREシリーズ/ゆ〜のす通信

部門賞
【コスプレ賞】 雨あがりを何度でも君と/愛犬の甘噛み
【微H賞】 AV女優と男優が同居する話。/妄想をトランクに詰めて
【百合賞】 ハッピーサマーウェディング/ハイパーケトルイエスタデイ
【新人奨励賞】 桐鳴駅
 

 2014/08/02(土) 「夏コミ(CM86)のお知らせ」

夏コミの配置は
日曜日(3日目)東地区”P”ブロック20b、です。

 サークルカットで毎度おなじみ、レビュー本復帰するする詐欺ですが、いつものように予定は未定となっております。この告知も、すっかり夏と冬の風物詩になっていますね。季節感は大事にしたいものです。読者の皆様ごきげんよう、GM研です。

 今回の新刊はコピー本で、同人を取り巻く関係のあれやこれや時事ネタを、久々の講演形式で考察してみました。題して「N次創作の現実と、未来への提言」。提言は現在進行形で考え中のものなので、完成形には程遠い段階ですが、今同人と商業で起きている事実と課題を、一般・サークル・企業、すべての最前線にいる者の一人として考察してみました。わずかでも皆様の考えるきっかけになれば幸いです。

タイトル GM研通信vol7.775
サイズ A5
ページ数 20P
印刷所 コピー本
頒布価格 100円
書店委託 なし
発行部数 50部前後(予定)

※今回も仕事のため作者は不在です。

 2013/12/18(水) 「冬コミ(CM85)のお知らせ」

冬コミの配置は
火曜日(3日目)西地区”め”ブロック30b、です。



毎度おなじみ準備号でございます(^^; 今回は2013年のTwitterのつぶやきデータ全7407件を解析して、2013年に私が関心を持った出来事を、四半期ごとにどこかで見たようなヒット商品番付形式にして振り返ってみました。題して「GM研白書2013」。例によって例のごとくコピー本の準備号になりますが、詳細な仕様は以下の通りです。

タイトル GM研通信vol7.75
サイズ A5
ページ数 本文28P
印刷所 コピー本
頒布価格 100円
書店委託 なし
発行部数 50部前後(予定)

※今回はかなり個人的な内容であるため原価割れの設定で部数も少なめです。

 2013/10/27(日) 「とあるまどかファンの叛逆記録」

※以下の考察には、劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語、に関するネタバレが含まれています。いえ、ネタバレしかありません。念には念を入れてテキストは反転空白にしてありますが、映画未見の方は絶対にご覧にならないように、くれぐれもご注意ください。





 劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語。まどかファンが待ちに待った新作は嵐と共に公開日を迎えた。TVアニメ版10話放送を控えた当日に大地震に見舞われた3.11。先週のまどかオーケストラコンサートには台風26号が関東を直撃。そして0時最速公開が行われる新編でも台風が接近。まどかはリアル・ワルプルギスの夜ともいうべき存在だなーと、のん気に思える自分は幸福なのだろう。

※本稿では、まどかマギカの略称は「まどマギ」ではなく「まどか」と表記します。

 グッズとパンフレットの販売開始は0時からと聞いていたけど、どのタイミングで雨が強くなるか分からなかったので、早めに家を出発。22時半には最寄の映画館に到着したのですが…すでに待機列に150名ほどの人だかりが(^^; グッズも入場も同じ待機列にしていたとはいえ、この雨の中よくやるね(自分の事は棚に上げて何を)。そのまま1時間半列を固定して、0時に物販が開始されたものの、パンフレットと物販を同じ列で捌いたものだから、列が遅々として進まない。幸いなことに上映準備も押していて10分遅れの0:40からに変更されたので、時間ギリギリで初回限定版パンフレットの購入に成功。入場者特典のミニ色紙も無事にもらえて安堵。ミニ色紙はマミさんとベベでした。5種コンプはあまりにハードルが高いので諦めはつけていたけど、マミさんファンとしてはこれは良い理の導きでした(^^)/

 さて、前フリが長くなりましたが、ここからが本番です。ネタバレ全開で行きます。改めてここから先は新編を未見の方は絶対にご覧にならないようご留意ください。なお、私は評論ジャンルの端くれではありますが、まどかに限っては先入観を持たないために、各種雑誌のスタッフインタビューや他の方が書いた考察、パンフレットでさえも一切読んでいません。本稿は公式見解や考察の正誤を求める種類のものではないことを、予めご理解いただけますよう、よろしくお願いいたします。


では始めましょう。
叛逆の記録を。


【叛逆の物語】

 そのタイトルを目にした1年前から、劇場版前後編のラストに残された断片的な映像と台詞を元にして、私は様々な予想を立てていました。「反逆」と「叛逆」。辞書的な意味は同じでも、「叛逆」の方がより禍々しく罪の重さをイメージしやすい。では、何に対して叛逆するのだろう?それはおそらく、まどかが新たに構築した宇宙の法則、すべての魔法少女を魔女になる前に消滅させ救済する「円環の理」に対するものなのだろう。ほむらはどんな手段を使ってでも、まどかを取り戻そうとするのだろう。魔獣たちと戦い続けていつか円環の理に導かれる日を待つのだろうか…いや待てしばし。あの虚淵氏がそんな生易しい脚本を書くだろうか?

 劇場版前後編の主題歌、ClariSの「ルミナス」の歌詞が指し示すいくつかの言葉。「明日を重ね塗る」「新しい可能性を生む」「真実の奇跡」。前向きな変化や希望に満ちた未来を感じさせるこれらの言葉と、「叛逆」という禍々しいイメージがどうにもシンクロしない。虚淵脚本に対するトラウマにも似たある種の信頼も間違いなくあった。期待を裏切り深淵の遥か彼方を描いてくれたまどかは、私にとって特別な作品なのだから。ゆえに、期待値のハードルはとてつもなく上がっていたのです。きっと視聴者の予想に叛逆してくれるに違いないという、期待と信頼を寄せていたのです。

 そんなモヤモヤした感情を抱えたまま1年を過ごした私は、新編の上映が始まってすぐに違和感を覚えつつも混乱はしてしなかった。既存のアニメ映像美に叛逆するかのように、華やかに進化したイヌカレー空間で繰り広げられる、まどか・さやか・杏子・マミさんによる、清く正しく美しい魔法少女の共闘体制。変わらず穏やかな鹿目家の朝。平和そのものの登校シーンでのさや杏のじゃれあい立体音響。転校してくる明るいメガほむ…これは誰もがずっと願っていた幸せな光景だった。これは夢なのか?と頬をつねりながら、その映像美に魅了されてしまい、「もう騙されないぞ!」という決意は揺らぎそうになっていた。間違い探しのように繰り返される日常。だが、物語はつながらない。同じようでいて何かが違う。いや、何もかもが違う。だが、その違和感こそが、本編を起承転結の「起」として機能させていたのです。

 起承転結のうち、この新編には「起」は存在しない。むしろ「承」も存在しない。いきなり「転」から始まっている。流れを文字にするとすれば、「転承結転結起」だろうか?通常ではありえない破綻した文法を用いながら、この物語のテーマを誰にでも伝わるロジックで語り切ったこの新編は、論理的にも極めて興味深い題材といえるだろう。エヴァQと比較する方もいるようですが、それは大きな誤りです。すべてを理不尽のままぶち壊していくQとは異なり、まどか新編をぶち壊す主体は暁美ほむらであると明確に理解できるようになっている。そして、ほむらの行動原理も極めて明快である。だが、その行動原理は明快ではあるが、決して常人の理解が及ばないほどに猛烈な劇薬であり、新たな宇宙の理を生み出すほどの想いであることを極めて自然に描いた。これは「モノガタル」ことへの叛逆でもあったのかもしれない。

 魔法少女たちの幸福な時間は、ほむら自身が違和感に気付いてしまったことによって崩壊へと向かい始める。強気なほむらの方がしっくりくるという杏子。マミさんとほむらの全力火力ハイスピードガンアクションの爽快感。巴マミの前で真実を告げることはいつも辛かった、と非情になりきれないほむら。閉鎖された空間での幸せな時間を願ったことが、そんなに悪いことなのかな?と疑問を投げかけるさやか。もうこの時点で答えは明白だった。誰がこんな偽りの世界を望んだのか。だが、何のために?この世界でただひとりまどかのことを覚えていて、まどかが自らを犠牲にしてまでして守った世界の尊さ…というより、まどかの尊い想いを穢すようなことを、ほむらが望むわけがない。やはり黒幕は…

 キュゥべええええ!やっぱり貴様かっ!!

 円環の理に導かれる寸前のソウルジェムを隔離するインキュベーターの実験。閉鎖された空間で街を丸ごとひとつ構築して、ほむらが無意識のうちに求める登場人物を世界に招き入れた。やがてほむらは自ら異変に気付き、円環の理への救済を求める。その時、インキュベーターは初めて円環の理を実体を持った存在として観測することができる。観測できれば干渉できる。干渉できれば制御できる。やがては支配できる…今回のキュゥべえは物言わぬマスコットとして積極的に「企み役」を演じてくれていたので、この種明かしにはむしろ安心した。それでこそ決して相容れぬ悪意なき悪徳だと。これはキュゥべえなりに人間のロジックを理解した上での作戦だったのだけれど、だがしかし、ほむらにはそんな常識は通じなかった。まどかの想いを穢して秘密を知られるくらいなら、自分が救われようなどとは思わない。自ら呪いを募らせて魔女として完成させ、すべてを闇に葬るのだと…この世界には巴マミと佐倉杏子がいる。だから、ここが私の死に場所になると信じている。魔女になる瞬間も仲間を信じたほむらの言葉に、思わず胸を打たれた…

 激闘の末に訪れた救済の時。キュゥべえの空間隔離を打ち破り、円環の理にほむらを導くために女神まどかが降臨する。死による魂の救済。それは悲しいことだけど、ほむらが望んでいたことでもあった。そのために魔獣と戦い続けた。ただもう一度、まどかに逢いたい。概念になってしまうけれど、これからはずっと一緒にいられると…エンディングが見えた。誰もがそう思って涙の防波堤の決壊に備えてハンカチの準備をしていた瞬間、すべては裏切られた。それはとんでもない、まさに文字通り「叛逆」だった。見たことのない禍々しいほむらの笑みとともに、掴まれた女神まどかの腕。女神まどかと鹿目まどかの人格の分離。円環の理の一部を強奪して、自らのソウルジェムを呪いよりもおぞましい概念「愛」へと進化させ、宇宙の法則を書き換えてしまった。禍々しくも狂おしく美しい、デビル・ほむらの誕生…

 ハッピーエンドを裏切られた!という絶望的なショックは、どういうわけだか「キタキタキタ!」という刺激的な興奮で埋め尽くされてた。虚淵脚本が普通に終わるわけがないという期待が現実のものになったことに興奮していた。話題作であることへの叛逆。安牌の脚本であるはずがないとは思っていたけど、問題作になるレベルでやらかすとまでは予想出来なかった。まさか、まどかのためにまどかさえも裏切るとは!観衆の誰一人として望まない結末を、そして当人であるほむらさえも報われない結末を、暁美ほむらというたった一人の情念のためだけの結末を用意するとは…!インキュベーターさえも「君達人間の感情は制御するには危険すぎる」と撤退を表明するほど、とてつもなく深い人間の業と可能性を、エンターテイメントとして成立させつつ、危ういバランスで描ききったこの作品の構造は、それこそ奇跡といえるのかも知れない。

 悪魔ほむらが宇宙の理に叛逆し、まどかの想いに叛逆して想いを踏みにじり、改変した新たなる世界で再び始まる日常。そこに転校生としてやってくる鹿目まどか。まどかが人間として生きて行くことをほむらが望んだ世界で、再び二人は他人として出逢う。だが、まどかは女神の力と記憶を断片的に有していた。世界の理を守ろうとするまどかと、世界の理を破壊しようとするほむらは、やがて争うことになるかも知れない。たとえそうであったとしても、それはほむらが自ら望んで犯した罪であり、自分だけが罰を享受できる唯一の存在であり、永遠に消えることのない爪痕なのだと。だからこそ、ほむらはまどかと結んだ絆の象徴であった紅いリボンをまどかに返した。そこには笑顔も涙もなく、ただ禍々しく狂おしい愛のカタチがあった。理解などいらない。理解できるはずもない。正しさなど知ったことではない。これは宇宙の理への宣戦布告なのだから。

 新たなる始まりにして、新たなる終わり。そして終わりの始まりへ…

 新編という言葉を聞いた時点で、これで完結するとは限らないと思っていた。その予想通り、虚ろな瞳でほむらに使役されるキュゥべえをラストカットに持ってきたことは、その先への期待と不安を掻き立てるには十分すぎるものだった。インキュベーターがこのまま終わるはずがない。極めて稀な精神疾患以外では感情を持たない彼らに、もしも感情が芽生えたとしたら、それは宇宙の法則を一変させてしまうのではないだろうか?悪魔になったほむらは、やがてまどかと争うことになることを否定していない。どっちにしても未来は穏やかじゃない。幸いにも我々には未来を想像して愉しむ時間と手段がある。次を想像する時間の猶予を、二次創作という可能性を愉しんで過ごすことができる。どうせどんな予想をしても、何を描いても、続編は誰の想像もしえない斜め遥か上空を行ってしまうのだから、今は純粋に娯楽として愉しもうではありませんか。それほどまでにこの物語は圧倒的に完璧に狂っている。それが私がこの作品に贈る最高の褒め言葉です。

 この叛逆は歴史になる。今はただ、その瞬間に立ち会えたことを喜ぼう。そして、この問題作を創り出してくれたスタッフの皆様、演者の皆様に尽きせぬ敬意を表したいと思います。いつか「理の向こう側」が訪れる日を夢見て、筆を置きたいと思います。皆様、ご清聴ありがとうございました。

2013年10月27日
GM研所長:GMさん


 2013/08/02(金) 「夏コミ(CM84)のお知らせ」

夏コミの配置は
日曜日(2日目)東地区”N”ブロック28b、です。



新刊は表紙・本文ともに完成しました!すでに宅配搬出済みなので、間違いなくコミケ2日目には新刊をお届けできると思います。詳細な仕様は以下の通りです。

タイトル GM研通信vol7.5
サイズ A5
ページ数 本文20P
印刷所 セブンイレブンの小冊子印刷
頒布価格 100円
書店委託 なし
発行部数 70部前後(予定)

本来予定していたレビュー本ではなく、今回は今しか書けない緊急提言企画に差し替えを行いました。テーマは、「著作権侵害の非親告罪化と、無制限の表現規制が滅ぼす、二十一世紀の創作ルネッサンス」です。一連の表現規制によって自由な創作活動が失われることが、総合的には経済的な損失であり国益を損なう愚行であることを、感情論ではなく実地に基づいて論理的に検証する試みを通じて反論を行ってみました。微力ながら、本書が皆様がこの問題を考えるきかけ、その一助となれれば幸いです。

章立て
・クールジャパンというペテンの正体
・同人がもたらすのは間接的な利益なのか?
・オタク燃料サイクル高速増殖機関
・同人バックドラフト現象、同人→商業の直接的利益実証
・同人が失われた世界戦を想像してみた
・人類が目指すべき次のフィールド

 2013/06/12(水) 「【ネタバレ】俺妹完結によせて」

「俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下、俺妹)」の原作小説第12巻が発売され、物語の完結を迎えました。以下は完全にネタバレを含む内容になっています。最終巻をこれから読もうと思っている方、アニメだけ観てるけど放送されるまで知りたくない!と思う方は、撤退をオススメします。また、感想には個人差があります。イチファンのたわごと、と流していただければ幸いです。

※アキバblogなどのインタビュー系記事は一切読んでいません。作者や編集サイドの意図を一切考慮せずにこの文章を書いています。




以下、ネタバレ感想です。

まず、二つの前提からご説明します。一つは私は俺妹の完結させ方を「肯定」している者であるということ。そしてもう一つは、私は事前に「特定ヒロインのハッピーエンドはない」と予想していたこと。この二つの前提があって感想を書いていることをご了承下さい。肯定する理由自体を目にしたくない、ハッピーエンドでない事を認めたくない、という方は読まぬが吉です。

しかしながら、私は手放しで俺妹の完結手法に大満足しているわけでもありません。俺妹は食材としてこれ以上ないほど優れていると思いますが、料理としての芸術点や完成度を期待していた人にとっては、モヤモヤとした後味になってしまったと思います。それは求めるものや見方次第でいかようにも変わってしまう尺度なので、そこに良いとか悪いとかはありません。それなのに、印象としての好きか嫌いかだけで論じてしまうのは少々もったないと思い、こうして筆を取った次第であります。

俺妹が用意した完結とは、「すべての女の子からの告白を断り、最後には自ら望んでフラれる」というものでした。まとめサイト系では「ハーレム崩壊エンド」といった呼び方もされているようですが、私の印象はその呼び方にあてはまるものではありませんでした。まず、ハーレムは読者の見方であって京介自身はハーレムを望んでいたわけではなく、むしろ朴念仁と言えるほどの鈍感さんであり、「バカ正直で頼りになるお兄さん」を普通にやっていたら、結果としてフラグを立てまくってしまった天然さんであり、崩壊させる以前にハーレムは存在しなかったし、作る意思もなかった。もし京介に計算高いずる賢い打算がわずかでもあれば、この物語は成立しなかっただろう。

京介には下心はあったし隠しもしなかったけど(セクハラ先輩呼ばわりだし)、でもそれは健康な高校生男子にとっては自然なことであり、そしてヒロインたちも高校生や中学生の女の子なのだから、ぶっちゃけ恋だの愛だの修羅場だのをリアルに描くことに意味はなかった。リアリティがないからこそ、回し蹴りハイキックをお見舞いし手錠に火をつけるあやせも、中二病な黒猫も、桐乃の難解な愛情表現も…どんなぶっ飛んだ展開もギャグとして成立できた。

この物語はあくまでも俺(京介)と妹(桐乃)の物語であり、修羅場の中心は常に京介だった。京介は厄介事に巻き込まれていい迷惑だと思っていたようだが、そのどこか他人事で当事者としての無自覚が、そこに痺れる憧れる!直球な言動の一致になって現れていたのでしょう。ドラマのようにヒロインたちが愛憎の果てに陰険にいがみ合うことはなく、衝突はあっても直情的な手段と解決によって、むしろ絆は深まっていった。あやせは麻奈実をお姉さんと慕い、黒猫は桐乃も大好きすぎて自ら恋人の座を降りた。それもすべて、京介が「誰かを選ぶ人ではない」ことを察していたからこそ、ヒロインたちはどこか通じ合うものがあり、お互いに親近感を持っていたのでしょう。

だからこそ、そんな京介に最後に想いを告げたヒロインたちには、いったいどれほどの勇気を必要としたのか痛いほど伝わってくる。以前のように倒れることなく別れの言葉に必死に耐えた黒猫。いつもの蹴りの斬れ味さえ忘れてばかばかばかぁ!と京介の胸叩くあやせ。ファンの目の前で想いを告げた加奈子。そして、始まりすらしなかった幼馴染の初恋にやっと気付いた麻奈実…みんな本当に素敵なヒロインたちだった。京介はいい加減な返事は絶対にしない。だから振られると分かっていても一世一代の告白が出来たのでしょう。

この恋は、桐乃が卒業するまでの期間限定だった。すべてが終わってから種明かしをすれば「なーんだそうだったんだ」「恋人ごっこだったんだ」と笑い話になるかもしれない。自分(桐乃)は許してもらえないかもしれないが、それでも京介には麻奈実がいる。桐乃がこの真剣な悪ふざけに乗れたのも、そう安心もしていたからだろう。桐乃にとって麻奈実はラスボスであるとともに、子供の頃から絶対に京介を裏切らない、最も信頼する幼馴染のお姉さんでもあったのですから…だからこそ、麻奈実に対しても筋を通して桐乃を選ぶと告げた京介に、桐乃はショックを受けたのだろう。怒る反面そこまでして自分を選んでくれたという嬉しさもあり…

実はこの部分が、なぜ桐乃が京介の幸せを願って身を引いたりしなかったのか?という疑問の答えになっているのではないかと勝手に邪推しています。桐乃自身もこれが恋なのか愛なのか分かっていなかったのだろう。だからこそ、矛盾を抱えたままでも気持ちを通じ合わせることができ、そして卒業と同時にキレイさっぱりリセットする、という小説のような展開が成立したのだろう(いや、まさに小説なのだが(^^;。義妹隠し設定や、兄妹のタブーをぶっちぎっての逃避行、といったベタな解決策に逃げ込まずに、兄と妹としての限界と最後まで向き合い続けたこの作品の試みと、キャラクター達の想いと軌跡は十二分に評価されるに値するものだったと思います。

そして、俺妹の完結手法は決してバットエンドではないことを、改めて声を大にして言いたいと思います。ここで、アニメ2期のOP主題歌を歌っているClariSの「reunion」、その歌詞を読み返してみて欲しい。

傷だらけでも今を抱いて、はじまりにしよう。
君とまた声交わそう、私とまた笑い合おう
蕾のままだった明日を咲かせるの、君の近くで

…どうですか?まるで俺妹の完結のその先を暗示するような歌詞に思えて来ませんか?まどマギのOP主題歌の歌詞も次回作の新約を暗示したような意味深なものでしたが、reunionも完結後に聞くとまったく表情を変えていました。俺妹の物語は完結して人間関係はリセットされたけれど、積み重ねた思い出と信頼はゼロにはなっていない。友人としての関係は続いているし、この先がどうなるのかは誰にも分からない。あの時はお互いに高校生と中学生のガキんちょだった。でも、ガキだったからこそ、あんなに恥ずかしいことも言えた。わけのわからない行動力に満ち溢れていた。俺妹の登場人物たちの時間がこれからも進んでいく。これは終わりじゃなくて始まり。俺妹は長いプロローグだったのです!

でも、それは小説の物語として公式で描かれるべき未来ではありません。小説では「あえて想像の余地を残す」「読者に委ねる」といった手法が取られることも多いのですが、俺妹の場合はその効果を狙ったというより、恋愛未満のこれから始まる物語、を描こうとした結果として、そうなったのだと思います。ゆえに、「終わった気がしない」という多くの読者の感想は正鵠を得ているのです。そこに未来の方向性づけがなされていないことに不満を覚えるか、いかなる妄想も可能であることに喜びを感じるか、は人それぞれだと思います。同人で訓練された私のような妄想狂にとっては、これ以上ないご褒美でしたが(^^;

俺妹が後世でどんな評価をされる作品なのかは現時点では分かりませんが、願わくばニュースサイトやまとめサイトや、公式の言説にとらわれることなく、この物語をよくよく見直して読み直すことで、自分なりの結論に至って欲しい。それがリアルタイムで楽しむことが出来たファンの特権であり、夢を見た時間を、大好きなキャラへの想いを嘘にしないで欲しい。積み重ねた言葉も、探し出した答えも抱いて、はじまりにしようではありませんか!

最後に、素晴らしい作品を世に送り出してくれた伏見つかさ先生、かんざきひろ先生、アニメスタッフの皆様、そして私により豊かな読書体験をもたらしてくれた、すべての俺妹二次創作作家の皆様に、改めて尽きせぬ感謝の言葉を贈りたいと思います。本当にありがとうございました!

以上、乱文長文失礼しました。

 2012/12/16(日) 「冬コミ(CM83)のお知らせ2」

冬コミの配置は
月曜日(3日目)東地区”ノ”ブロック32a、です。



新刊は表紙・本文ともに完成しました! これで間違いなく、コミケ3日目には4年ぶりのまともな新刊をお届けできると思います。詳細な仕様は以下の通りです。

表紙 フルカラー
表紙イラスト 藍川琉々さん(ティンクルスター)
サイズ A5
ページ数 本文40P(26863文字)
印刷所 セブンイレブンの小冊子印刷
頒布価格 300円
書店委託 なし
発行部数 100部前後(予定)

 2012/12/16(日) 「冬コミ(CM83)のお知らせ」

ども、いつものようにご無沙たーん(死語)しております。
毎度おなじみコミケ前だけ更新の季節がやってきました!(威張るな)

冬コミ、無事に当選しております。配置は、

月曜日(3日目)東地区”ノ”ブロック32a、です。

新刊は久々の正式ナンバリング本「GM研通信vol.7」です。諸般の事情によりオフセット印刷ではありませんが、表紙は印刷屋さんに発注して、本文はセブンイレブンの小冊子印刷。オンデマンド折本と比べても遜色のない仕上がり(の予定)です。特集は丸ごと1冊「まどか★マギカ」!新刊の表紙はこちら。



表紙イラストは、サークル「ティンクルスター」の藍川琉々さんに描いていただきました!この女神まどか様のイラストは、2011年の夏前に許諾をいただいていたのですが、GM研のコミケ連続落選もあって、まどか特集本の制作が延び延びになっていて…今回やっと形に出来て、嬉しいやらほっとするやら(^^;

それでは、引き続き本文の制作も頑張ります!

 2012/08/06(月) 「夏コミ(C82)のお知らせ」

夏コミ(コミケ82)のお知らせです。
今回、3回ぶりにコミケに無事当選できました!
…とはいえ、公私ともに色々ありまして、新刊は無料配布のペーパーになります。

無料配布ペーパー「超訳:なのは2nd A's Extention」

配置は以下の通りです。
曜日 東地区“S”ブロック−29a

この夏劇場公開され、すでに9回も観てしまった「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's」について、二次創作と併せて読むことで、さらに作品世界を掘り下げるガイドブックを作成しました。オレ公式とも言うべき名作を生み出した、12名の打ち手を熱烈紹介! 両面印刷でアホみたいに文字数の多いペーパーですが、お楽しみにいただければ幸いです。

※ペーパーは100枚用意しました。午後でもまったくもって余裕だと思います。
お暇なときによろしくお願いいたします。

※売り子さんの都合で開幕30分ほど無人になる予定です。
ペーパーは無人の時間帯も配布していますので、ご自由にお持ちください。

※既刊のGM研通信はvol.6のみ少数持ち込んでいます。vol.1〜vol.5は見本展示のみです。


※最近webとmixi日記の更新が滞り気味です。最新情報はtwitterの書き込みでご確認ください。
※全公開用のアカウントは「gmkencom」です。
※友人・知人向けのアカウントは「gmkensan」です。こちらは承認制です。


Copyright (C)1996-2009 gmken ALL RIGHTS RESERVED
gmkenあっとまーくgmken.com

※GM研はリンクフリーです

http://www.gmken.com/icon/gmken.jpg

Sorry, GM-ken is only Japanese language. Please understand that GM-ken can have no responsibility about perversion which you produce at the time of translation.

 Contents

 ・所長日記
 ・同人誌レビュー(休止中)
 ・ブックマーク(工事中)

 最近の記事

 その他