Weekly Web Magazine
週刊GM研 Vol.106
2004/05/24


【News Headline】
  • 北朝鮮拉致被害者家族5人が帰国。首脳会談を同評価するか
  • 【mini Review】
  • 漫画
  • : ぷぎゅる(1)(2)
  • 漫画
  • : ななはん(1)
  • 雑誌
  • : 週刊ファミ通 6月4日号(vol.807)
    【Weekly Column】
  • 同人読者歴5年目を迎えるにあたって思うこと

  • ■News Headline

     【北朝鮮拉致被害者家族5人が帰国。首脳会談を同評価するか】 
     唐突に決まった小泉総理の2回目の訪朝によって、膠着していた北朝鮮拉致被害者家族問題は、5人の子供の帰国が実現したものの、安否が不明の10人については再調査の確約を得ることもできず、曽我さんの夫のジェンキンス氏は米軍脱走罪の訴追免除の確約が得られていないとして帰国を拒否し、これまで要求してきた150項目にわたる疑問点についても北朝鮮側からは何ら回答を得ることができないまま、完全に主導権を握られたまま食糧支援という外交カードを切ってしまったことに、拉致被害者家族からも与野党からも不満の声が上がっている。

     当初6月の予定で調整が進められてきた日朝首脳会談を、なぜ小泉総理は日程を繰り上げてまでして強行したのか---私はてっきり、小泉総理にはよっぽど確実な勝算があったからこそ、自らの年金未納問題と参議院選挙を控えた政局を乗り切るパフォーマンスに使える、と判断したのだろう。拉致問題は劇的な解決をみるのではないか---そう楽観的に考えていました。

     しかし、終わってみれば引き出せたのは最低限の結果でしかありませんでした。5人の子供の帰国が実現したことは確かに評価すべき成果ですが、それは一国の総理大臣が国策としての外交カードを切って直談判までして引き出した成果としては、あまりにもお粗末なものと言わざるを得ません。事前にアメリカからジェンキンス氏の免罪の確約を得る根回しもできていなかったことといい、わずか一時間半の会談で主とする議題が核問題なのか拉致問題なのか焦点も定まらなかったことといい…結局、今回の訪朝は、山崎拓氏らが北朝鮮の実務担当者と接触した際の「政府高官による出迎え案」を履行しただけに過ぎないのではなかろうか?ただ単に、政府高官が首相だったという話で、北朝鮮に言わせれば「何を大袈裟な」といったところだろう。結局、この問題に対する日朝間の温度差は何一つ変わっていなかったわけです。しかも、今後日本が国内世論の不満の声に押されて食糧支援を行わないようであれば、またしても北朝鮮から「約束を反故にしたのは日本だ」という口実を与えてしまうわけで…純粋に国家間外交としても下策だったと評価せざるを得ないものとなってしまいました。

     では、なぜこの問題がここまで複雑化してしまったのでしょうか?そもそもの原因は、この拉致問題の外交レベルが相手側に正確に伝わっていないことにあります。被害者家族会、救う会、拉致議連、外務省、それぞれが独自に無責任なマスコミを通じて活動して牽制しあっている状況では、水面下の交渉なんて出来るはずもなく情報は漏れ放題。これでは北朝鮮の担当者に信用してくれと言っても通じるはずがない。それどころか、政府内でさえ意思統一がされておらず、福田官房長官が辞任したのも自らの年金未納問題と説明されていたが、その実、北朝鮮政策を巡って小泉総理との対立が決定的になったから(山崎ルートを選択したから)と言われていて…外交チャンネルとして機能していないのに、国策として外交の議題にすることなどできるはずもないのです。

     今回の会談で唯一の進展があったとすれば、この問題を総理主導で一元して取り扱うという姿勢を表明できたことだろう。私は、「政治のために外交を使うな」なんて奇麗事は言いません。外交とは兵器を使わない戦争ですからね。どんな手を使おうと自国を利する結果を引き出せればそれでいい。その目的が政治ショーにあろうとも結果さえ伴えば誰も文句は言わない。選挙のために戦争を起こす某国の大統領よりはナンボかマシですからね。批判は大きいだろうけど、始めてしまった以上は「黙ってオレに任せておけ!」くらい堂々として問題の早期解決に向けて行動していただきたいものである。


    ■mini Review

     【ぷぎゅる(1)(2)】 コンノトヒロ / マガジンZ 
     これは本当にメイドさんマンガなのだろうか…二頭身だし、頭は取れるし、服着てないし、溶けるし、変形して空まで飛ぶし…唯一のメイドさん的記号は頭にのっかってるメイドキャップだけなのに、それさえも餃子であったりティッシュであったり刃物であったりルーレットだったりで、もう何が何やら…しかし、それらのツッコミどころの多すぎる疑問も、このマンガを読んで笑っていると、メイドという設定自体がどーでも良くなってしまうから不思議なものです。

     どんどん謎の生命体になっていくチェコはもとより、その脇を固めるキャラも強烈な個性を発揮しています。アニメ化されてもキャラ設定の名前が伏字になっている「ま○○○」(ツッコミ役)といい、雪女なのに寒いのが苦手(でも、温かいものは食べられない)な「ミゾレ」といい、ヤンキー女子高生のはずだったのにいつの間にかバイオレンスボケ役になっていた「カナト」といい、平気で半年以上放置されても気づかれない「ナチ子」といい、なぜかチェコに夢中のヤクザのおっさん達といい…いい味出しすぎです。アニメ版はCSのみの放送で観れないので評価のしようがないけど、少なくともマンガ版は新感覚不条理メイド(?)ギャグ本として一読の価値のある作品だと思います。

     【ななはん〜七屋ちょこっと繁盛記〜(1)】 ももせたまみ / アフタヌーン 
     「ももいろシスターズ」や「せんせいのお時間」で知られている漫画家「ももせたまみ」が、月刊アフタヌーンで連載している、下町の質屋「七屋(ななや)」で暮らす三姉妹の愉快な日々を描いた4コママンガ、それが「ななはん〜七屋ちょこっと繁盛記〜」です。長女の織絵は質屋の女主人で27歳。美人で器量よしで胸もデカイ。でもなぜか生娘(処女)。次女の園子は、あらゆる方法でアイデアをひねり出そうと奇行に走る、万年スランプのハードエロボーイズラブ小説家でオタク。三女のななんは、時代劇好きの生粋の江戸っ子娘で、小学生だけど一番のしっかり者(趣味は三味線)。そんな妙な三姉妹と、いたいけな下宿人の栗原くんだけど、下町のぽややんとした人情と人間関係の中で、まったりとしたした笑いが形作られて行きます。

     ももせたまみ作品の多くの作品に代表されるキャラクターの属性と特徴を、三姉妹に上手くまとめたと言える作品だと思います。ご近所の友達の新キャラの増やし方も見事だし、肩肘張らずに「おばさんくささ」を出すことで笑いと取れるようになったことも、他の作品にはない魅力を醸し出している要因なのかもしれませんね。ももせマンガの独特のノリが好きな方は、問答無用で読んでおきたい1冊です。

     【週刊ファミ通 6月4日号(vol.807)】 エンターブレイン 
     すでにネットニュースで多くの情報が伝えられているE3でのPSPとニンテンドーディーエスについてですが、雑誌媒体では今週号が初公開です。PSPが本体そのものの機能よりも対応ソフトの紹介に重点が置かれていたのに対して、NDSはデュアルスクリーンを使った新機軸の紹介に重点が置かれた、この記事のまとめ方の相違には面白いものがあると思います。ファミ通.comのでのアンケート結果でも、「E3でインパクトを受けたハードメーカーは?」との設問に対し、SCEが53%、任天堂が46%と拮抗した結果が出ていますしね(ちなみに、マイクロソフトは僅か1%(ここは笑うところ?))。

    好意的なコメントが多く寄せられていますが、アナリストとして敢えて苦言を呈するとすれば、NDSのソフトは新機軸であることを前提とされるため、作り手を選び製作にも時間が掛かります。任天堂が発表している2004年内での発売に何本専用ソフトを揃えられるか…となると不安材料も多い。しかし、GBAとの下位完全互換があるため、対応ソフトは少なくてもGBA(またはGBA-SP)からの御祝儀的な買い替え需要に乗れば、発売時期が2005年2月頃にずれ込んでも問題はないだろう。一方、PSPはメディアが完全に異なるため、発売日にどれだけ豊富なラインナップを用意できるかが死活問題になってくるでしょう。価格設定も149ドル前後(最大市場は北米なので敢えてドル立て計算)になることが予想され、対応ソフトも同時に買わなくてはならないため、クリスマス商戦を逃すと大きなダメージとなるでしょう。PSPは12月3日で16800〜19800円、NDSは2月14日で14800円、という予想でどうでしょう?

    「ネットワークゲーム英語講座」に非常に興味深いデータが載っていました。日本と海外のオンラインゲーマーの意識の違いとして、「異国のプレイヤーとパーティーを組む事を躊躇するか?」という設問に対して、日本では100人中58人が「躊躇する」と回答し、海外では100人中91人が「躊躇しない」と回答。完全に正反対の傾向が出ました。FF11などの国産ネットゲームには多言語対応のため定型文辞書機能が搭載されているものの、人間同士のコミュニケーションが面白さの大半であるネットゲームにおいては、実用会話として使うにはまだまだ役不足です(翻訳アルゴリズム研究経験者談)。基本的に韓国も中国も英語ベースで話が通じる場合が多く、日本語しか使えない日本の方が、ネットゲームの世界では異質な存在なのかもしれませんね。ネットゲームにも独自の略語や暗黙の了解があったりするので…ますます初心者には敷居の高い存在に感じてしまいます。乗り越えた先にはそれ相応の面白さがあるにしても、まずその言語の壁を乗り越えるというヤル気を起こさせるものが何かないものかねぇ…


    ■COLUMN

     【同人読者歴5年目を迎えるにあたって思うこと】
     GM研所長、27歳。今年の夏に同人読者歴5年目を迎える、どこにでもいるスパークする同人誌バカである。蔵書は同人誌だけで3500冊を突破。同人年間予算は公称70万円にまで拡大。2004年4月には生活の拠点を関東に移したのをいいことに、毎週のように各地の同人誌即売会に出没。このまま加速度的な増加曲線を辿れば、同人界の妖精と謳われた:故イワえもんの蔵書(3万冊)を超える可能性もあるという…夢中で走っていたら、いつの間にかどえらい所まで来てしまいましたが、そんな私にも「始まり」の瞬間がありました。5年目という節目を迎えるにあたって、今日はこれまでの歩みを振り返ってみたいと思います。

     私が同人誌と初めて出会ったのは、2000年、23歳の夏のことでした。大学を卒業するまでずっと、陸の孤島のような片田舎(鳥取県)で生活していた私は、同人誌のドの字も知りませんでした。ゲームとマンガについては、田舎でも格差は少ないので、それほど不自由することなく楽しむことができましたが、同人誌はそういうわけには行きません。即売会に参加するにしても、学生の懐には手痛い遠征交通費が発生するし、そもそも周囲に同人誌を嗜む友人もいなかったので、当然ながら、同人誌との接点は全くありませんでした。おそらく、教授推薦のままに地元の企業に就職していたら、私は一生同人誌と出会うことなく生涯を終えていたことでしょうし、GM研の現在もありえなかったでしょう。

     ところが、運命という奴は面白いものです。大学卒業後、私は就職して研修のために上京することになりました。研修場所の最寄り駅がちょうど秋葉原だったこともあり、毎晩のように電気街を散策する機会があったので、せっかくだからと同人誌ショップにも入ってみる事にしました。初めて足を踏み入れた同人誌ショップは…私にはあまりにもどキツイ異世界でした。目に入るのは元ネタも分からないエロばかりで、数ページの見本誌のコピーだけで何をどう判断しろというのか…元々、家庭用ゲームばかりをやってきてPCエロゲーを全く知らず、まともに流行のアニメを受信できない田舎に住んでいたこともあり、同人誌の流行についていくことなんて出来ませんでした。「やはり私には肌が合わない世界だな」と諦めて退散しようとしていたら、ふと一冊の本の表紙にピタリと足を止めました。その1冊が「その後のEVANGELION(7)」でした。見本誌のほんの数ページのコピーと先ほど言いましたが、本当にフィーリングが合う本というものは、1コマの絵柄だけでも十分にその良さを判断できます。次の瞬間には迷うことなく本を手にレジに向かっていました。

     同人誌のその面白さを一度知ってしまってからは、のめり込んでいくのは早かったですね。その夏のコミックマーケットに初めて一般参加して、会場の壮絶な人込みと熱気とパワーに、強烈なカルチャーショックを受けました。その後、研修を終えて関西に配属されて、同人のメインステージから引き離されてしまっても、一度点いてしまった火はもう消せませんでした。むしろ、逆境であればあるほど燃え(萌え)上がるのが愛というもの!

     しかし、地方同人をやっていると、どうしてもネックになってしまうのが遠征に必要となる交通費です。関西にも同人誌即売会はあるにはありますが、関西まで遠征して来てくれるサークルは限られているし、オンリーイベントも数えるほどしかありませんからね…激安の夜行バス(片道4800円)を使えば多少は節約できるけど、眠れなくて身体は疲労でボロボロになってしまうし、堅気の仕事もあるので翌日に疲れを残すわけにもいかないし…

     そこで、私の同人熱の維持拡大に大きく貢献してくれたのが、同人誌ショップの存在でした。毎週のように日本橋の同人誌ショップに足を運んで見本誌を読み倒しながら、自分の感性に合うサークルを徐々に増やしてゆき、好きになったサークルの本を「サークル買い」しながら、ジャンルの守備範囲も同時に広げて行くことで、作品を通して、作者と自分の嗜好にリンクする部分を見出して、その感性を信頼して原作を好きになる…という、私なりの本選びのスタイルを確立することができました。

     2001年夏のコミケには、初めてサークルとしても参加しました。最近になってGM研の存在を知った方はご存じないかもしれませんが、GM研は2001年夏から2002年冬まで、須賀原洋行作品パロディ同人サークルとして活動していたんですよ。中学生の時からずっとファンだった須賀原先生には、モーニング誌上で作者近況欄で告知をしていただいたり、名古屋での即売会に参加した際にはお話させていただく機会までいただきました。同人作家としてこれ以上無いほどの喜びを教えてくれた約2年間の活動は、ずっと忘れることはないでしょう。

     また、同人活動を通じて、多くの友人を得ることもできました。学生時代ならともかく、社会人になるとなかなか対等の立場の友人というものは作れなくなってしまいます。特に、同人という極めて特殊な趣味では公言することも憚られるもので、職場では隠している人も多いと思います。しかし、同人という名の元に、同じ趣味をした同じ目をした人々が集う同人の世界では、ちょっとの勇気さえあれば、その友人関係は長続きします。親兄弟だって、盆と正月くらいしか顔を合わせないのに、同人では年に数回であっても確実にその場に行けば会えるんですから!そして、その場所では世間での肩書きもしがらみも関係なく、同志として通じ合うことができる。何年経っても変わらない、その人の本質で語り合うことができるのです。

     私は、4年間で累計250万円にも上る巨額の投資を続けながら、同人という世界を見続けてきたわけですが、大きなところでは、月姫の大ヒットや、マリみて現象、同人関連産業の隆盛、商業と同人ボーダーレス化、などなど…様々な移り変わりを目の当りにしてきました。もっと身近なところでは、長年活動してきたジャンルに終止符を打つサークルさんや、長く続けてきたシリーズを終えて新しい挑戦を始めるサークルさんや、プロデビューしてどんどん有名になっていく作家さんや、商業に専念するために同人活動を休止する作家さん…世界も人も、何もかも変わらずにはいられません。ただひとつ変わらないものがあるとすれば、それは、”本に込められた作家の情熱”と、”情熱を受け止める読者の心”ではないでしょうか?今一番自分がやりたいことをやるということ。同人というのは、とてもシンプルな自己表現であり、コミュニケーション手段でもあるのです。

     レビューを書いている私が言うのもナニですが、同人誌においては、作品の良し悪しというものは非常にパーソナルなものであって、普遍的な評価や価値観で語ることのできないものだと思います。しかし、同人の世界はあまりにも広大で自由です。初心者はどこをどう探せばいいか分からないし、熟練者になると自分の守備範囲以外には目もくれなくなってしまいます。だからこそ、ある程度のガイド、道先案内人のような存在が必要なのだと思います。そう心がけてレビューを書くようにしています。レビュー活動や同人読者の道を極めることを通じて、とても多くのモノをくれた同人という文化に対して、少しでも貢献していくことができれば幸いです。


    文責:GM研編集部編集長 gonta