Weekly Web Magazine
週刊GM研 Vol.100
2003/07/12


【News Headline】
  • 長崎男児誘拐殺人事件
  • 【mini Review】
  • DVD : 
  • まほろまてぃっく〜もっと美しいもの〜(7)
  • CD : 
  • True Love Story Summer Days, and yet...
    プレキャラクターシリーズ Vol.6
  • 漫画 : 
  • 彼氏彼女の事情(16)
  • 雑誌 : 
  • ドリマガ 7月25日号(vol.)
  • 雑誌 : 
  • 週刊ファミ通 7月25日号(vol.762)
    【COLUMN】
  • さよならだけど、さよならじゃない。

  • ■News Headline

     【長崎男児誘拐殺人事件】 
     7月2日、長崎市で起きた幼稚園児:種元駿ちゃん(4)が、市内の立体駐車場で遺体となって発見された誘拐殺人事件で、長崎県警は7月9日、防犯カメラの記録から同市内の中学1年の男子生徒(12)を補導。少年は、家電量販店で自分がテレビゲームで遊んでいたところ、偶然現れた駿ちゃんに声を掛け、誘拐後アーケード街に着いてからは数店に立ち寄った後、殺害現場の立体駐車場に向かったことも判明した。しかし、14歳未満の「触法少年」は刑法の規定で刑事責任が問えず、逮捕はできないため、児童相談所は10日にも生徒を家庭裁判所に送致、家裁は生徒を少年鑑別所に収容して、非行の有無や更生方法を探る「観護措置」を取るとみられる。

    -------------------------------------------------------------
     防犯カメラの提出を求めた警察が捜査のかなり早い段階から、犯人像よりも駿ちゃん目撃情報に聴き込みが偏っていたことから、「少年犯罪なのではないか」という憶測が広がっていたわけだが…まさか、ちょっと前まで小学生だった12歳の中学生の犯行とは… 警察の対応もずさんだった。補導当日、容疑者の少年の自宅前で待機していたら、少年は裏口から出かけてしまい、焦った警察はクラスメイトの目の前で少年を補導するという不手際を演じてしまった。その騒ぎによって、いとも簡単に学校を特定されてしまい、ネットには少年の写真や実名が流れるなど、問題をさらに大きくしてしまった。

     そして、事件は思わぬ方向に飛び火しています。閣僚一人一人に事件に対するコメントを求められた際に、鴻池祥肇防災担当相が「私は勧善懲悪。厳しい罰則をつくるべきだ。親なんか市中引き回しの上、打ち首にすればよい」と発言して野党から総攻撃を喰らったり、同市の小学校の教頭が、忘れ物をしてきた児童に対し「裸にして突き落とすぞ」などと発言して緊急の保護者会が開かれて謝罪したり…少年犯罪に対する世論の見解も複雑であり、マスコミの報道もどこかおっかなびっくりで、事件の焦点を刑罰や少年の人格ではなく、社会環境のせいにしようとしているようだが…

     こういう少年犯罪事件が起こるたびに、マスコミは「社会環境のせいだ!」と言っているが、私の見解はちょっと違います。確かに、初期教育によって人間がどのように変わってしまうのか、それは実験国家:北朝鮮の現状を見れば火を見るより明らかです。しかし、基本的に自由民主法治国家の日本にあって、同じように社会環境に責任を求めるのは、この国の在り方の全てを否定する事でもあるのですよ?「社会」の最小単位は家族であり、「教育」の最小単位は親の躾である。米国には「いついかなる時でも親は子供から目を離してはいけない」という法律があり、「目を放した隙に…」というだけで保護責任が問われる。凶悪犯罪が連日伝えられる昨今「日本は治安のいい国」という幻想はもう通用しないのだから、自分と自分の家族の身は自分の手で守らなくてはならない。

     この少年はゲーム好きだったという。朝のワイドショー「とくだね」では、少年が入り浸っていたというゲームショップの店員の話とともに、ボカシが入っていたものの明らかに「実況パワフルプロ野球」の映像が使われていた。今時、N64の試遊台を置いているお店というのもどうかと思うが…ともかく、「マトリックス」に影響を受けて大量の銃器を所持して大量殺人を計画したり、「ハリーポッター」に憧れて薬品を調合して家屋を全焼させたりするようなこの御時世で、ゲームだけを悪者にする風潮があるのは納得しかねる。基本的にゲームは自分の内側に世界を構築する遊戯であり、遊び手の資質によってその受け取り方やスタイルは千差万別である。この少年のように、現実の自分を確立しないままゲームの中に自分を構築して、安易にゲームをキーワードにして他者とのつながりを求めてしまうこと、「仮想と現実の区別」以前の問題で、「仮想と現実の価値観」を喪失してしまう危険性があるのです。遊びにも最低限のルールや礼儀作法が存在するという事を教える者が誰もない、そっちのほうがよほど問題だと思うぞ。

     よく、「人の命は地球より重い」という言葉で命の大切さを教えようとする教育者がいるが、そんな月並みな言葉で子供達が納得するわけがない。現実として、人はいとも簡単に死んでしまう弱い存在である。だからこそ、共同体を築いて助け合って生きていかなくてならない。自分がされて嫌な事は誰だって嫌なものだ。大切なのは想像力を働かせることではないだろうか?


    ■mini Review

     【まほろまてぃっく〜もっと美しいもの〜(7)】TBS-i/GAINAX 
     TVシリーズ第二期「まほろまてぃっく」も、この第7巻でいよいよ完結です。TBS-iという恐ろしく限定された放映だったため、私はこのシリーズをずっとDVDになるのを待って買い続けてきたわけですが…2001年12月から実に1年半に及んだ、この作品との付き合いの果てに訪れた待望の完結を迎えて、私がまず何をおいても真っ先に取った行動とは…東の空(吉祥寺方面)に向かって「ガイナックスなんて大嫌いだぁぁぁ!!!」と叫んでしまいました。レビューでネタバレを使用する事は私の流儀に反するのですが、今回ばかりはどうにも我慢なりません!

     最終二話を説明するのには、「劇場版のエヴァ完結編」このたった一言で十分でした。「ひとりにしないでよぉ!」と突然シンジ君化しちゃう優、勝手に自爆して巨大綾波化しちゃうまほろさん。謎の断片をチラリと見せただけで説明する気はまるでなく、脈略無く20年後に復活再会めでたしめでたし…って…視聴者をバカにするのも大概にせんかい!悪い意味でいつものガイナックス節が全開です。庵野さんはOPコンテのみの参加のはずだったけど、庵野イズムは脈々と次代へと引き継がれていくんですねぇ(厭)

     唯一の救いは、TVアニメはあくまで別物であってオマケの存在でしかなく、本体であるマンガ連載が常に高いクオリティをキープしていることです。物語はすでに佳境へと突入していますが、もう連載本誌で読むのが辛くなってきました。まほろさんの気持ちが痛いほどビシビシ伝わってくるから…年を取って涙腺が弱くなってきたからなぁ…単行本が出るのを待って、思う存分泣くことにしよう。

     私はかつて、原作を忠実に再現した第一期「まほろ」を高く評価していて「もう少し羽目を外してもいいのでは?」と書いたものだが…この第二期「まほろ」は恐らく、原作者からラストまでの構想をもらった上で第二期のアニメを製作したのだろう。しかし、ほぼ同じ道筋でありながらこのクオリティの差は何なんだろう?もし、アニメのラストを見て原作者の気が変わったのだとすれば、この失敗作もあながち無駄ではなかったのかもしれない。いや、そう思わないとやってられないんですけどね…ハァ…

     【True Love Story Summer Days, and yet...
      プレキャラクターシリーズ Vol.6(向井弥子) 】 
     メインヒロイン(のはず)の楠瀬緋菜を差し置いて、前人気ダントツトップ(一部の地域の集計ですけど)の向井弥子、通称:弥子たん、もしくはデコ娘(TLSの伝統的デザイン)。見事な丸顔で主人公の幼なじみ。正確には主人公の姉のるりっぺの幼なじみで、主人公はオマケみたいな存在だったんだけど。でも、限りなく他人ばかりの今回のヒロイン達の中にあって、弥子たんの「4年ぶりに帰ってきた素直になれない幼なじみ」というオイシイ設定は、一際目立つ存在だよなぁ…

     で、歌の方の感想は…特にありません。折笠冨美子さんの歌はいろんなゲームで聴いているし、声優歌手にしては歌も上手い方だと思います。でも、なんか違和感があるんですよねぇ…キャラクターボイスとボーカルボイスに微妙なギャップがあるのが原因だろうか?これはどんなゲームにもついて回る問題であり、「ときメモ」のように定期的に歌を出して長くキャラクターを演じていくしか解決法はない。ゲーム発売前に出したCDでは基本的にゲーム本編以上の魅力を引き出す事はできない。メディアミックスは開発資金回収やファンサービスなどの意味合いだけではなく、長期的スパンで作品を育てていく効果もあるということを、お手軽に他社ギャルゲーの後乗りでノウハウを身につけた気分になっている、我らが親方eb!は認識しているのだろうか?

     【彼氏彼女の事情(16)】津田雅美/月刊LaLa 
     暗くて辛くて長かった「有馬編」がようやく終了しました。幼年期のトラウマから自らを追い込んでしまい、すべてを拒絶してしまう…だが、雪野は有馬のそんな虚勢を意地を偽りを、いつも簡単に見抜いてしまい心を踏み越えてきて眠らせていた心の傷を捲ってしまう。だから雪野を遠ざけようとした。でも、だからこそ、雪野なら救ってくれるかもしれない。破壊するものは再生する事もできるかもしれないから。必要なのは闇を理解する事ではなく、籠の蓋を開けて光の世界に飛び込んでくるのを笑顔で受け入れる、たそれだけなのだと…

     大胆に白を多用した技法にはゾクゾクするような「柔らかい迫力」がありました。読者の周囲の空気さえ軽くしてしまうな圧倒的な説得力。最近プロの漫画家にも増えているデジタルではこうはいかないよなぁ…物語がシリアスモードから脱した事で、彼彼(カレカノ)独特のコミカルタッチやお笑い小ネタも回復の兆しがあるのも嬉しいところ。17巻以降の展開については、実はすでに15巻に収録されているACT 72の最後で伏線を張ってあるので想像するのは難しくないでしょう。完結までもう少し、残された時間を名残惜しみながら、最後まで温かく見守って行きたいと思います。

     【ドリマガ 7月25日号 (vol.385)】ソフトバンクパブリッシング 
     隔週発売の利点を生かして、ファミ通より一足早く「TLSS」の評価が出ていましたが…点数的には可もなく不可もなくという感じでまとまっていたものの、「期間が無限になってしまった」というコメントがどうにも気になります。そういえば、TLSSの画面写真には日付表示がどこにもなかった気がする…まぁ、「ひと夏の恋」という時点で恋の動機としては弱いとは思っていたんですけどねぇ…はてさて、どうなることやら…

     「さよならファミコン20年の歴史」で、ファミコンソフトで出荷本数が100万本を越えたソフトのリストが掲載されていて我が目を疑いました。「燃えろプロ野球」が158万本で、「ドラクエ1」が150万本ですよ?し、信じられな〜い!(ジローラモさん風)。あの豊穣な時代の生き証人と言える高橋名人のインタビューも面白かったし、かつての宿命のライバル:セガの歴代ハードのすべてに関わってきた佐藤秀樹会長の開発秘話も興味深かった。同様の特集記事を来週に控えるファミ通に一週先んじて、してやったり?

     長らく音沙汰のなかったアスミックエースの「東京魔人学園」でしたが、その開発チームが手掛ける新作がアトラスから発表され、それと合わせてグローランサーの新作も発表されていましたが…またしても他人のふんどしで相撲を取る気ですかアトラスは?頼みの綱のメガテンも不振が続いていて、いつ何時傾くか知れたものではありません。まぁ、あの会社はアレでナニな資金ルートがあるのでいきなり潰れたりはしませんけどね…アトラスの開発資金に依存している開発会社が連座して存亡の危機に立たされる事態だけは避けていただきたいものです。

     【週刊ファミ通 7月25日号(vol.762)】 エンターブレイン 
     ドラクエIIIが発売された1988年からファミ通(当時のファミコン通信)の購読を始めたから…かれこれ15年間購読を続けてきたことになります。15年というとすごい数字ですが、とは言っても、ここ数年はほとんど惰性で買っていて、この週刊GM研で毎週ダメ出ししてきたわけで…この週刊GM研でファミ通に諫言するのもこれが最後だと思うと、ちょっと名残惜しい気もします。でも、そんな時に限ってあんまりツッコミ所がなかったりするんですけどね。悪役なら悪役らしくして欲しいもんですな。

     コラム「浜村通信」が久しぶりに面白かった。浜村編集長の親バカぶりは業界では有名で、子供の頃はネタとしてよく誌面で使われていたり、息子の成長と共にあまり誌面に息子ネタが出る事はなくなっていたのだが…久々の登場のお題は「エムブレム」と「MOTHER」。子供に何の説明もせずに「エムブレム」を与えてみるとどうなるのか…そりゃあ、年季の入ったファンだけが知る不文律なんて分かるわけがないし、いくら懇切丁寧なFEのチュートリアルでも「初期セットのジイイは罠だから一滴も経験値をやるな。むしろパシリでこきつかえ!」なんて教えてはくれないからなぁ…「MOTHER」のミスターネタには、私も思いっきりジェネレーションギャップを感じてしまいました。(サミー・ソーサがミスターと呼ばれているかどうかは定かではないけど)。

     こうして子供の生のゲーム感覚を業界最大手誌が伝えることには大きな意義があると思う。「たかまれタカマル!」でも珍しく「ゲーム観」というものを真面目に考察していたように、ただ情報を伝えるだけでは埋められない認識のズレがゲームという文化には生じてしまっていて、その問題に対する危機感がようやく表の場で論じられるようになったことは、大変喜ばしいことである。時代は変わる、ゲームも変わる。しかし、遊びの本質は変わらないはずだ。それを伝え広め残していくのが、雑誌の役割ではないだろうか?業界最大手雑誌としてファミ通に課せられた責務は決して軽いものではないのだ。


    ■COLUMN

     【さよならだけど、さよならじゃない。】
     2001年4月30日に創刊した「週刊GM研 vol.1」から、2年と2ヶ月と半月あまり…とうとう「vol.100」という大台を達成する事ができました。私自身、この連載がここまで長く続くとは思ってみませんでした。今振り返れば、毎週休日を1日潰して買出してネタを仕込んで、毎週締め切りに追われて原稿を書いていた記憶しかありません。そんな苦労をしながらも、「個人の言いたい放題のストレスマガジン」とも呼ぶべき記事内容にも関わらず、かくも長期に渡って連載を続けてこれたのは、これはひとえに読者の皆様のおかげでございます。この場をお借りして読者の皆様に改めて言い尽くし難い感謝の意を表したいと思います。本当に今までありがとうございました。

     創刊当初は、総合レビューマガジンの「月刊GM研」では扱えない、ゲーム関係のネットニュースやゲーム雑誌などの時事ネタを紹介したい、という理由で始まったわけですが、次第にゲームだけの記事だけでは満足できなくなってきました。様々な試行錯誤の後、現行の「ニュース、ミニレビュー、コラム」という現在に至る方針が定まったのはvol.20からでした。その後は常時約60-80人の定期閲覧者に支えられ、記事によっては800ヒットを越えるようなものまであり、GM研の読者獲得に多少なりと貢献する事ができました。また、こうして毎週、物を考えて大量の文章を書く事によって、タイピングや文章力構成の訓練にもなりました。毎週書き続けていくことで、私の思想や批評家としてのポジションを明確にする事が出来たのも大きな収穫でした。

     しかし、これだけ言いたい放題やってきたので、敵を作ってしまうことも少なからずありました。私としては感じたままを素直に書いているだけで、喧嘩を売ろうとかそういう意志は全然ないんですよ。本当に嫌いだったら記事にするどころか頭に思い浮かべる事さえしたくないですから。私が批判的な記事を書く時には、必ずそれと同等の「好きな理由」があります。それだけに、すべてを台無しにしてしまう「悪い部分」を弾劾せずにはいられないわけです。

     こういう事を書いていると、よく「好き嫌いは個人の嗜好の問題だ」と言われます。ええ、まったくもってその通りだと思いますよ。しかし、誰もが「みんな好きにしたらええがな」と割り切ってしまうと、売れる作品は宣伝力ある一部のブランドのみに限定されて一過性の流行になってしまうし、批判のないイエスマンだけの閉じた世界では作品の質は向上しないし世界も広がらない。大切なのは、誰にとってどのように好きか嫌いかを明確にする事ではないだろうか?

     私は基本的には相対論者ですが、相対化の果てにあるものが価値観の平板化と無価値化であることも十分承知しています。物事を相対化してあらゆるケースを想像できることは大切なことですが、時には物事を単純化してただひとつの物を選び取らなくてはならない時もある。つまり、真に相対化すべきは物事個々の事情ではなく、物事を見る自分の価値観なのです。事象をあらゆる角度から分析できる自分を、さらに一歩引いて自分を見ている自分を認識すれば…自分がどんな立ち位置にあるのか、そしてどこに向かって進むべきか、自ずと答えは出ることでしょう。

     

     以前にもお知らせしたとおり、週刊GM研は、このvol.100を最後に休刊いたします。一時的な意味での休刊ではなく、再開の予定はまったくありません。しかし、これはさよならだけど、さよならじゃない。週刊WEBマガジンという形式は無くなりますが、記事のそのものは、7/21にリニューアルされるGM研HP本体の機能(コンテンツ)の一部として受け継がれます。むしろ、週刊GM研の記事が本体のHP自体を乗っ取ってしまった「日刊GM研」と言ったほうが正確かも知れません。どうぞ、お楽しみにお待ちくださいませ。

     それでは最後に、本当に今までご愛読ありがとうございました。そして、新しく生まれ変わるGM研をこれからもお引き立ていただきますよう、どうぞよろしくお願いいたします。


    文責:GM研編集部編集長 gonta

    GM研TOPページに戻る