夏の魔術
小説作者:田中芳樹
 ゴシック・ホラー  幻想怪奇冒険活劇  全4巻 
出版元:講談社ノベルス、徳間書店(絶版)

「夏の魔術」とは?

 能戸耕平19歳。この春一浪して私立大学の文学部に入学した、どこにでもいる平凡な学生である。季節は晩夏。左の胸ポケットに三週間の休暇、右の胸ポケットにはバイトで貯めた20万円を入れて、彼は新学期が始まるまで目的地のない旅を続ける計画だった。しかし、「よんどころない事情」とやらで、10人ばかりの乗客を無人駅で降して、列車は走り去ってしまった。そのまま1時間以上しても列車が来る気配も無く、暇を持て余していると、少年のような少女が「お兄ちゃん、ひとり旅?」と声をかけてきた。少女の名は、立花来夢(らいむ)12歳。麦藁帽子にTシャツにジーンズのショートパンツ。恋のアバンチャールにはまだ早すぎる小さなレディ。だが、この出会いがすべての始まりだった。

 日暮れ前にやっと迎えに来た列車は、時代掛かった蒸気機関車だった。しかし、列車は何時間走ってもどの駅にも停まらず、それどころかカーブを曲がることさえなかった。さすがに皆訝しみはじめた時、来夢がもっと子供だった頃に列車で目撃した、カーブにかかったら見える不気味な彫像の話が再現され、列車は停まった。そこは、驚くほど巨大な赤い月が宙空に輝く異形の世界だった。2mもある凶暴な化猫に追い立てられて逃げ込んだのは、場違いに巨大な屋敷だった。屋敷の名は黄昏荘園…現実世界から隔絶された、人間の狂気が生み出した異世界。来夢と耕平、田中芳樹が最も愛すコンビによる、幻想怪奇冒険活劇、それが「夏の魔術」です。

田中芳樹が最も愛するコンビ、来夢と耕平

 不器用で平凡だけど真っ直ぐな青年と、色気には程遠いけど明朗快活な少女、この取り合わせは田中芳樹作品には良く見られるコンビですが、その究極形と言えるのが来夢と耕平です。お姫様を救出に向かう騎士ひとり。ただし、お姫様はまだ二次性徴も出ていない小学生で、騎士は武芸の心得も魔術の知識も無い平凡な大学生である。取り得といえば勇気と責任感が、標準量よりすこし多いだけ。体内に強大な異次元エネルギー存在を棲まわせる二人が揃うと決まってトラブルが起こるけど、それでも二人で一緒にいるのが一番安全だと信じられるのです。

 異次元生命体(セラフィン)と完全に同調した人間は不老不死を得るという…来夢と耕平は望まずしてその身に宿した力ゆえに、チカラの亡者たちから狙われ続けることになりますが、どんなピンチでも「勇気の源」「やる気の供給源」のその手を繋いでいる限り、何もこわくない。元気が恐怖を上回ってしまうから…「来夢といっしょだったら空だって飛べる」耕平のその言葉に、読者がまったく恥ずかしさを感じないのは、読者を作品に引き込んでしまうこのコンビが持つ魅力があるからなのでしょう。

夏、秋、冬、そして春…
短くて長い旅の終わりと始まりの”信頼と親愛の絆”

 はじまりの夏、再会の秋、絆を深めた冬、そして春。季節は巡り再び二人は黄昏荘園へと導かれ、すべての怪異に決着をつけることになります。短くて長い旅の終わりに生まれた”信頼と親愛の絆”が試される時…10と10の力を足し合わせるのではなく掛け合わせるんだ。10+10ではなく、10×10にすれば、100のチカラにだってなるんだから…力の源泉は異次元的存在の中に在るのではなく、人間が人間であるために必要な資質の裡にある気がする。そう地に足の着いた考え方ができる耕平だからこそ、来夢は絶大な信頼と親愛を寄せ、読者も最後まで温かい目で二人を見守ることができたし、そして、あまりにも美しい”終わりの始まり”を、心から祝福することが出来たのだと思います。魔術小説の性質としては宗教色が強いわけでもなく、奇想天外な展開の連続というわけでもないけど、何度でも読み返したくなる、ずっと見守っていたくなる、そんな不思議な魅力を持った逸品です!

First written : 2004/06/06

第一巻:「夏の魔術」
第二巻:「窓辺には夜の歌」
第三巻:「白い迷宮」
第四巻:「春の魔術」