いいひと。
マンガ作者:高橋しん
 恋愛・ドラマ  ハートフルコメディ  全26巻 
連載本誌:週刊ビックコミックスピリッツ

「いいひと。」とは?

 「いいひと。」とは、大ヒットした「最終兵器彼女」の作者:高橋しん先生の出世作となった作品です。ジャンル分けをするなら、「ハートフルコメディ」といったところでしょうか。その温かく、柔らかい絵柄に一目惚れしたのは、私が大学浪人をしていた頃のことでした。その当時は、今のように漫画に情熱を持ってはいなかったし、受験失敗という人生初の挫折によって、精神的にも荒れた日々を過ごしていました。もう一度勉強をする気にもなれず、無為に日々を過ごしていた春のある日、書店で平積みされた漫画の表紙の絵柄に惹かれて衝動買いしました。それが「いいひと。」でした。「いいひと。」との衝撃的な出会いによって、精神的に癒された部分が多かったし、そして何より、「漫画」そのものの可能性をひしひしと感じさせてくれたのです。その出会いから8年…万感の思いを込めて、改めて「いいひと。」とは何だったのか、再考察してみたいと思います。

覚えていますか?「幸せ」という祈りを

 「いいひと。」は、終始一貫した「幸せ」というテーマの基、すべてのキャラクターがエピソードを越えた「絆」によって結びつき、成長することで物語を紡いでいきます。 主人公「北野優二」には、超人的な能力などまったくありません。彼の唯一の取り得は、あきれるほど純粋に「願う」ことができること、ただそれだけです。 しかし、諦めることに慣れすぎてしまい、いつしか自分自身さえ見失ってしまった誰もが、主人公の「願う力」と関わることによって、気付くことができるのです。挑戦することなく諦めていた自分に。どうしようもない想いを抱えてうずくまっている他人に。そして、いつの間にか忘れかけていた、「幸せ」という祈りに…

 世の中には、自分が嫌いな人があまりにも多く、「本当の自分」をいつも捜そうとしています。しかし、人はそんなに簡単には変われません。「自分捜し」とは、現在の自分を否定することで、現実から目を背ける逃避と同じなのです。この現実の中で、今の私達に出来ることは、とりあえず、今の自分を肯定する事と、自分を好きになる事だけです。 今、自分がやっている事に確信が持てるようになった時、人は初めて他人の優しさを感じ、そして他人に与える事ができるのではないでしょうか?自分から歩み寄ることなしに、そして他者との関係があって初めて「自分」は存在できるのですから。「幸せ」とは、案外どこにでもあるんです。ただ気付いていないだけ…そう気づかせてくれました。

 ただし、「いいひと。」がそういうヒーリング面で優れた漫画だから読め! …と、他人に勧める事はしたくありません。やはり、きっかけは「コミカルなギャグ漫画」として読んでもらいたい。「いいひと。」が本当に素晴らしい点は、楽しく読めて、なおかつ心が和むことです。ギャグタッチを多用した笑いが随所に効果的に使用されているので、読んでいて全然疲れません。1巻から通して読んで行けば、最終2話では魂を揺すぶられる様な衝撃を受けるでしょう。言葉にできない、自分の本音に気付かされて、大いに戸惑うことでしょう。

 そこから何を始めるか…それはあなた次第です。

たとえ優しさに傷ついたとしても

 作品の幕を下ろすという事は、作者にとって大変な痛みをともなうものです。作者にとって作品は我が子同然であり、情が湧いてしまうのも仕方のない事です。しかし、情に流された結果、完結のタイミングを逸したり、テーマの着陸地点を見失ってしまうことも少なくないのも事実であり、作品論としては、作者は「完結」に限っては「非情」にならなくてはならないのかも知れません。

 「いいひと。」は完結を迎えるにあたって、相当長い準備期間を設けました。それは、にわかファンが呆れて離れてしまうくらい、長くて辛くて厳しいものでした。「リストラ」というテーマに敢えて挑んだ「ReSET」編は、多くのファンにとっての別れ道になってしまい、商業誌的には大失敗でした。ただし、この章は「いいひと。」を完結させる上では、絶対に必要だったのです。ストーリーの上でも、テーマの上でも、作品が持つスピりットの上でも…

 単行本最終巻26巻末に収録されている作者のあとがきからも読みとれる事ですが、この作品は完結にあたって、作品に対して「非情」になるのではなく、作品に対する「優しさ」を突き詰める事を選びました。その「優しさ」のために「傷つく」事から逃げなかったのです。たとえ、それで作者自身も、キャラクターも、そしてファンをも傷つけることになろうとも…

 しかし、痛みを知る事で、その先にある「幸せ」を心から祝福できる「優しさ」を誰もが持つ事ができるようになります。最後まで、この作品につき合う事ができたすべての読者にとって、この作品は特別な存在になった事でしょう。誰もが笑顔で見送る事ができた稀有な存在であり、誰もが忘れ得ぬ想い出と、忘れてはならない想い出を思い出させてくれた存在として…

「ありがとう。さようなら。」

 優二と妙子の最後の言葉は、私が二人に最も言いたかった言葉でした。

First written : 2001/12/15
Last update : 2003/10/21