それはエノキダ!
マンガ作者:須賀原洋行
 ギャグ  こだわりギャグ漫画  全7巻 
連載:週刊モーニング

「それはエノキダ!」とは?

 最盛期で蔵書数4000冊を越えていたこともある私の漫画本棚の中で、殿堂に選ばれている作品はたったの5つしかありませんでした。そのうちの1作品が、以前このコーナーでレビューを書いた「気分は形而上」であり、本作「それはエノキダ!」は、形而上第三期に生み出された人気キャラクター「榎田君」を主役に抜擢した作品です。

 「榎田君」とは、あらゆる物事に対し鬱陶しいまでのコダワリを持ってしまうキャラクターです。一度何かにこだわり始めると、他人目には明らかに才能の無駄遣いとしか思えないような異常な執念を発揮して、とことん理屈を突き詰めて「キモチE」状態を求める、周囲からはなんとも傍迷惑な存在となってしまいます。反論や指摘をすればさらに鬱陶しいコダワリズムが何倍にもなって返ってくるので、黙って聞くしかありません。暴走脱線した過剰なコダワリ精神は、もうはやギャグの領域に達してしまいます。

より深みを増した「コダワリズム」

 漫画のスタイルも従来の4コマ漫画から8ページフリーに変わりました。ネタの凝縮度という面でも、テンポの良さという面でも4コマ漫画は非常に優れた表現技法です。にも関わらず敢えて8ページのフリー漫画に挑戦した理由は、 「その方がより榎田君のうっとうしさが発揮できる」からです。

 4コマではコマの枠に収まる範囲でしか物事を表現できないという致命的な欠点がありますが、それに対して8ページフリーでは、自由にコマ割りを使うことができるため、榎田君のコダワリと発想はコマ数の制限がないため、どんどんエスカレートさせることができます。これにより、1つのコダワリは呆れを通り越してギャグの領域にまで高めることができるのです。

 ひとつのテーマで何週間も描き続けることにより、読者からの反響や指摘を内容に反映させることもできます。特にリサイクルのテーマでは、途中からは「リサイクルすればするほど環境は悪化する」という正反対の論理に路線変更したケースもありました。タバコについても、最初は「分煙による喫煙権利の保護を!」という論調でしたが、しばらくすると「受動喫煙すら許さない!隔離せよ!」という正反対の立場になっていました。作者自身が柔軟かつ真剣に作品に取り組んでいるからこそ、このような逆転現象も起こるのでしょうね。

こだわりVSてきとー

 この「エノキダ」シリーズで一番面白いのが、榎田君の「こだわり」と正反対の「てきとー」の存在にあります。すべてを運となりゆきに任せる「てきとー主義」の持ち主である高木一族は、榎田一族にとっては天敵とも言える存在ですが、ここには、裏を返せば、絶対に成り得ないものに対する憧れのような感覚もあるのです。これは、須賀原先生の現実に身近にいる高木的存在(実在ニョーボ)に対するコンプレックスの現れなのかも知れませんね。

 その一例が本の読み方です。榎田君は読んだ本はすべてキチンと整頓しなければ気がすまない典型的な知識顕示欲の強いインテリコンプレックスタイプ。高木君も意外と読書家だが、読んだページは破って捨ててしまう(軽くて読みやすくなるし、しおりも不要)ほど無頓着。榎田君から見れば高木君は自然体で知識を吸収する本物のインテリに見えてしまうのです。てきとー妻マルミさん一家の登場で、より存在感を増した高木ワールドも、この作品には欠かせない要素なのです。

いきなり最終回

 といっても、最終回だけを集めた某漫画ではなく、これは須賀原先生のスタイルです。何の前触れもなく、突然最終回を迎えるのは今回が初めてではありません。先生の漫画は編集サイドの打ち切りによる最終回は稀であり、ほとんどが先生自身が決断したものです。それに、終わるのは連載であって、作品世界が消えてなくなってしまうわけではありません。だから特別な理由をつけて終わらせる必要などないのです。特に今作の主人公:榎田君は、作者の人格が色濃く反映されていることもあり、愛着もひとしおだったようです。

 「描き切って才能を枯渇させるよりも、常に新しい何かに挑戦しつづけたい」。この理想を実行に移すことの難しさは誰もが知ってます。ひとりの創作者として、その勇気に敬意を表したいと思います。

First written : 2001/07/01
Last update : 2003/11/03