Wind -a breath of heart-
DC製作:アルケミスト   2003/1/30発売
 恋愛・ドラマ  恋愛アドベンチャー  20時間 
原作:minori キャラデザ:結城辰也 アニメ:新海誠

「Wind -a breath of heart-」とは?

 処女作「BITTERSWEET FLOOS」でデビューした、PCギャルゲーブランド:minori、その名を世に広く知らしめる契機になったのが、minoriの第二作「Wind -a breath of heart-」でした。ちょうど時を同じくして個人製作アニメ「ほしのこえ」で一躍時の人になった新海誠が手がけたOPムービーは、GAMESPOTの高画質版ムービーダウンロードサービスをパンクさせ…過熱する一方の前人気。しかし、その前評判はPC版の発売後、不評の嵐へと一変しました。あまりにも不安定なシステム、ひどすぎる誤字脱字、そして、遊び手を遙か彼方に置き去りにするストーリー… 某所で"祭り"スレッドが盛大に咲き乱れたのは言うまでもありません。

 そんな悪名高き「Wind」が家庭用ゲーム機へと移植されると聞きつけて、私は黒い意味で興味を持ちました。DC版での変更箇所は、既読スキップ機能の追加、紫光院霞ルートの追加、諸々新エンディング・新エピソード、立ち絵の全描き直し、口パク、エフェクト、新ムービー、新テーマ曲…ハッキリ言って、移植とは呼べないくらい手が加えられいます。PC版を体験していない私には比較評価は出来ませんが、散々手直して”コレ”では、元がどんなものだったのか想像するのは難しくないでしょう。(先に断っておきますが、このレビューはDC版時点での評価であって、PS2版は締め切りに間に合わなかったため、評価の対象外としています)

優しい風が運ぶ”想い”の物語

 さて、一応あらすじを紹介しておきましょう。幼い日に離れ離れになった幼馴染の少女、そして交わした約束… それから10年。行方不明になった母の手掛かりを求めて、母が生まれ育った街に引っ越してきた主人公は、ある日、懐かしいハーモニカの音色に導かれて、夕暮れ時の学校の屋上で…約束の少女「鳴風みなも」との再会を果たす。誰もがちょっとした「力」を使える不思議な街を舞台にして、彼らの想いの物語は、吹き抜ける一陣の風とともに始まりを告げるのだった---

 この物語は、ほのぼのとした学園生活を描く「第一部」と、街の謎との対峙を描く「第二部」という二部構成になっています。第一部のほのぼの学園パートは、イントロダクションという位置づけになっていますが、この時点では不可もないけど可もありません(誤字ではない)。しかし、第二部はうって変わってトンデモナイ急展開です。第一部で折角ものすごい贅沢な尺を使って初心ながらも普通の恋愛像を描いてきたのに、いきなり謎を突き付けられて壮絶バトル勃発で「殺して庇って奇跡ボーン」で、めでたしめでたし、ですかい? 遊び手は開いた口が塞がらない状態にされてしまうので、これでは伝わるものも伝わりません。テーマ・質云々以前の問題です。 BSFの時も同じだったけど、絵もキャラクターも世界設定もシナリオも主題歌も、すべての要素がハイレベルなだけに、演出のまずさで全てを台無しにしてしまったのが、惜しまれて仕方がないのですが…

理念という名のエゴの空中分解

 年齢とともに、すっかり涙もろくなってしまった私ですが、このゲームでは、とうとう最後の最後まで一滴も涙が出ませんでした。ここぞ!という名場面候補はいくつもありましたが、それらすべてが、ことごとく駄目演出によって粉砕されてしまいました。この作品の演出をした人間は、さぞや満足したでしょうね。言葉や論理なんて全然必要なくて、 ただ今まで積み重ねてきた想いに浸りたくなる場面なのに、必要以上にキャラクターに裏設定を延々と語らせまくって、会話の間も情緒も余韻も…場面演出のすべてを台無しにしてまでして、作品・世界構成力を誇示してみせたわけですから…

 「人を馬鹿にするのもいい加減にしてよ!」という、みなもちゃんのその言葉、minoriにそっくりそのままお返しします。当のminoriは、「minoriが普通の学園恋愛モノを作るわけがありません!」と自信満々でコメントしているそうですが、それは学園恋愛モノを低く見ているという証拠です。結果だけを見れば奇跡と世界観で物語としては綺麗にまとめたように見えますが、ゲームのストーリーとしては遊び手の心に何も残せなかった。作り手の理念という名のエゴは、遙か衛星軌道上にあって、遊び手の心の地表に着陸を果たすことなく空中分解してしまったのです。

 “We always keep minority spirit.”直訳すると「いつも少数派の魂で」。minoriブランドの語源となっているこの言葉。その理念は大いに結構です。しかし、他者と違うことをやりたいなら、まず最低限の基本は守れるようになってからにして下さい。少数派は多数派への反発だけで成り立つものではないし、少数派が少数派であることのみを誇るようになったら存在価値はありません。その矛盾こそが、minoriというブランドの虚像の真実です。

First written : 2003/02/09
Last update : 2003/11/03


「Wind -a breath of heart-」 冷徹なるキャラクター選評

※この選評はすべて重度のネタバレで構成されています。ゲームの楽しみを致命的に損なう恐れがありますので、ゲーム本編をすべてクリアした方、もしくは多少のネタバレでも読み流せる方のみ、白文字部分を選択反転させてお読みください。なお、この注意書きを無視してネタバレ部分を読んでしまった場合、GM研は一切責任は取りかねますので、くれぐれもご注意ください。

鳴風みなも CV:倖月美和
約束の女の子であり、当然不動のメインヒロインという位置づけになって然るべきキャラクターのはずなのですが、いやはや…作品中では不憫で泣きたくなるくらい酷い扱いを受けてしまいます。他のキャラには全員に幸福なエピローグが用意されているのに、みなもちゃんにだけは(通常ルートでは)用意されていないんですよ。彩ちゃんのバットエンドという形での未来像は一応ありますが、それはあくまで彩ちゃんのトゥルールートの「外れ」であり、みなもちゃん自身の「人を馬鹿にするのもいい加減にしてよ!」という言葉で、その未来像の存在意義は完全に否定されています。そもそも、みなもルートに「みなもルート」と呼ぶ価値があったかどうかさえ疑わしい。誰しも、前情報の露出度の高いメインヒロインから攻略を始めたくなるというのが人情というものですが、ファーストインプレッションでこんな不完全なシナリオを出されたら、誰でもちゃぶ台をひっくり返しますよ。幼馴染との再会、伝えられない想い、拒絶されることへの恐怖…それでちゃんと1本シナリオを書いてから、世界の謎でもなんでも存分に語ればいいじゃないですか。第一部の終わりまでは、せっかくいい感じでみなもちゃんと「あは〜んな感じ」に盛り上がっていたのに、第二部の逝ちゃった展開のせいで、EDに辿り着く頃には、もうそんな甘酸っぱい想い出は、遥か忘却の彼方へ…しかも、ラストシーンの謎かけは、勿体つけて答えを言わず終いとな…今にして思えば、ゲーム開始数10分後に、みなもちゃんと屋上で再会した場面、そこがこの作品のピークだったのかもしれませんね。メインヒロインに損な役回りをすべて押し付けることがminoriのオリジナリティだとでも言いたいんでしょうか?

丘野ひなた CV:笠井律子
「君が望む永遠」の茜ちゃんに酷似した安直な設定とデザインの妹像は、ひなたちゃんの元気な可愛さに免じて100歩譲って良しとしましょう。2番煎じでも良いものは良いですからね。でも… 第二部(正確には、ひなたルートには第二部への区切りは存在しない)での展開と、彩ちゃんとのバトルの決まり手が、あんまりにもぶっ飛び過ぎていて、思わず「笑わしよんなぁ〜minoriはん!」と大爆笑してしまいました。だって、いくらなんでも、絶対に割れない壷で折れた剣が跳ね返って彩ちゃんを直撃。しかも、その一瞬後には彩ちゃんはあっさりと死を受け入れて、ひなたに心=命を譲ってしまうんですからね…いやはや…開いた口が塞がりませんわな。「妹キャラ=血が繋がっていない」というのはギャルゲーでの定石であり、Windも御多分に漏れず定石を踏襲しています。あ、でも、強引に3姉妹への連鎖に繋げてしまうあたりが只者ではありませんね(悪い意味で)。唯一の救いは、エンディングでの照れくさい演出です。「お兄ちゃん」とずっと呼ばれていた妹に「まことさん」と呼ばれるのは、何とも照れくさいものがありました。しかも、 「お兄ちゃん」エンドと「まことさん」エンドの2種類を用意するというあざとい仕様です(ただ単に呼び方が違うだけなんですけど)。結局のところ、このルートではminoriの屈折したオリジナリティがあまり発揮されなかったことで、最悪の事態だけは免れたけど、それはキャラクターの弱さを露呈するだけの結果に終わってしまったのではなかろうか?

藤宮わかば CV:あおきさやか
「メガネっ娘=おとなしい=上品=おっとり=緑色=巨乳=スクール水着」という、ギャルゲーのお約束をこれでもかと言わんばかりに押さえまくったキャラですが、端的に表現すると「君望」の穂村さん(の性格がまともなバージョン)です。望ちゃんとの姉妹タッグで進められるシナリオは、第二部でも「姉妹の絆の行方」という方向性を失わなかったことにより、急展開のさ中でも物語として破綻を来たすことがなかった。それは素直に評価したいが、問題なのは、それが恋愛構造としてとても歪な形で成立してしまったということです。それと、肝心な場面で語りすぎるのがこのゲームの最悪の部分なのだが、わかばちゃんのおっとりとした喋り方では、長文のテキストを読み上げるのに時間が掛かってしょうがない。なまじ1画面に表示されるテキスト量が多いので、その弊害はさらに増大。望ちゃんと血が繋がっていないことは、双子の姉妹でもないのに同じ学年、という時点でバレバレでしたが、唐突に明かされる「実の父親は秋人おじさんで、みなもとひなたとわかばは3姉妹」という設定には目が点に…いや、想像できなかったわけじゃないですよ。あからさまに怪しい伏線はたくさんありましたからね。でも、それを薄々気づかせるような情報が段階的に与えられなかったので、遊び手はただ戸惑うばかりです。お蔭様でバトルの緊張感も姉妹の絆の行方もどこへやら…でも、謎が収束していく快感はまったくありませんでした。終わってみれば良く出来た話(都合がいいという意味で)に聞こえるかもしれないが、終わってから「実は…だったんです」って言われてもなぁ…伏線は物語の中で活かしてこそ意味があるんだけどなぁ…

藤宮望 CV:岡田純子
「凛とした強さを持つ剣術少女」という使い古された設定ですが、不治の病というアクセント(嫌なアクセントだなぁ)と、わかばちゃんとの姉妹の絆というテーマを最後まで失わなかったことにより、このゲームで唯一真っ当に評価して然るべきシナリオとして成立させることができました。街の力が消えてしまうことによって、もっとも影響を受けるのは望ちゃんです。病気の進行を食い止めているわかばちゃんの力が失われれば、望ちゃんはもう長く生きることはできないですからね。でも、それでも、望ちゃんはわかばちゃんが犠牲になることを拒んだ。そして、奇麗事ではなく人として彩ちゃんに剣を向けた。そういう感情の緩急を唯一描けたからこそ、あの理不尽なバトルにもやっと意味が見出せた気がします。2種類用意された望エンド、そのどちらも望ちゃんが望ちゃんであることに変わりは無かったから。それと、一番「お!」と思ったのが、彩トゥルーエンドでの望ちゃんの解釈の仕方です。街の力が失われて、数年後に病気の治療法が解明されたのは、望ちゃんの病を治したいというわかばちゃんの解き放たれた想いが、風に乗って同じ境遇にある人々の心に届いたからなのかもしれない… 結局のところ、この物語は最も外側にいた人間、主人公と望ちゃんの存在を主眼に据える事で解き放たれた、と言えるのかも知れませんね。

紫光院霞 CV:児玉さとみ
DCオリジナルルート、と一応銘打ってありますが、そのほとんどが重複ルートであり、攻略が可能(主人公とくっつく)というわけでもないので、単体のシナリオとして評価するほどの意味はないと思います。要するに、紫光院と勤の夫婦喧嘩エピソードがちょっぴり追加されただけ、というのが実情です。PC版では妙に紫光院の人気が高かったらしいが、はてさて、彼らはこのシナリオに満足できるのかな?エピローグの結婚式での勤の台詞が、完璧に他シナリオからの使い回しだったのは、音声の再録する金と時間を惜しんだからなのか?(そこで頑張らないでどうする!)ところで、このシナリオには重大な矛盾が発生しています。それは、第二部のバトルシーン。彩ちゃんの剣は心を斬るんじゃなかったんですか?どうして、紫光院を庇った勤が物理的に斬られて血まみれで死んでしまうんでしょうか?(「勤が力を持たないから」という設定ではチト苦しい)…もしかして、自分たちで作った設定を本気で忘れていたんでしょうか?(スタッフの誰かが気づいて止めてあげようよ!)。それにしても、このゲームはどうあっても、どのシナリオでも「殺して庇って奇蹟ボーン」というベタな展開をやらずにはいられないみたいですね(苦笑)。一体、何のためのルート分岐なのやら…

月代彩 CV:平井理子
彩ルートに入る前に他のキャラをクリアしているので、街の謎のほぼすべてが明らかになってしまっていて、この期に及んで何をやると言うのだろうか?…と半ば呆れながら始めたのですが… ちょっと待てぃっ!それはどういうことですか? 彩ルートを進めるうちに、私はとんでもない矛盾に気づいてしまった。これまで他のシナリオで重ねてきた結末は、謎の断片を示すための前フリに過ぎなかったというのか?彩ルートを「真」であると認めることは、他のルートでのあの痛みもあの温もりさえも「偽」だと認めるということではないだろうか?急速に繋がっていく謎と世界。しかし、その整合性が逆に、「選択」という可能性自身を否定してしまうのです。そして、もうひとつ、彩ルートは大きな矛盾を抱えています。それは、1回目は必ずバットエンドになって、すべてをみなもちゃんに押し付けることになるバットエンドになることです。前述の通り、そんな可能性は要らないんです。それはみなもちゃん自身がその後のシーンでハッキリと否定しているじゃないですか。キャラクターが自ら否定している可能性を結末のひとつとして遊び手に示すということ、それは遊び手を馬鹿にした行為だと思います。そうして、キャラクターの想いも、遊び手の想いもすべて踏みにじって、残酷な幸せの可能性を踏み台にして大団円を描こうとした開発側の傲慢と無神経さ…それが、この作品を駄目にしてしまった本当の理由ではないでしょうか?