涼宮ハルヒの憂鬱
書籍作者:谷川流 イラスト:いとうのいぢ
 学園・SF  一人称非日常エンジョイノベル  1〜8巻 
発行:角川スニーカー文庫

「涼宮ハルヒの憂鬱」とは?

 アニメのヒーローや悪の組織や未来人や宇宙人や超能力者…そんなものを本気で信じていたわけではないが、存在しないことに気付いてしまいたくもなかった。いつかふらりと現れてその闘いに俺も巻き込まれてフォロー役にまわる、なーんてな。そんな奴らは現実にはいるワケねー…でもちょっとはいて欲しい、みたいな最大公約数的なことを考えくらいまでに俺も成長したのさ…そうして迎えた主人公:キョンの平凡であったはずの高校生活の初日は、一人の女子生徒の自己紹介によって完膚なきまでに叩き壊されることになってしまった。

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」

 このぶっ飛んだ発言をした涼宮ハルヒは、容姿端麗・成績優秀・運動神経抜群で一際目立つ存在でありながら、中学時代から有名な奇人変人であり、すべての部活に仮入部するも結局どの部活にも入らず、クラスの誰とも馴染まなかった。たまたま縦隣の席になったよしみで何気なく話しかけいてしまったことを誰が責められようか。ある日、校内に自分が楽しめるクラブが無いことを嘆いていたハルヒは、突然「ないんだったら自分で作ればいいのよ!」と宣言し、勝手にキョンを巻き込んで新たなクラブ作りを開始する。廃部寸前だった文芸部の部室を唯一の文芸部員だった長門有希ごと乗っ取ってしまうと、萌えキャラとして上級生の朝比奈みくるを拉致してきて、単なる転校生:古泉一樹を謎の転校生として加入させ、「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団(略して、SOS団)」を発足させてしまったのです。

 実は、このハルヒがテキトーに集めてきた3人は、実は宇宙人と未来人と超能力者であり、それぞれの組織が涼宮ハルヒという特別な存在を監視するために送り込んでいた者達だった。ハルヒが3年前から無自覚に行っているとされる世界を考えたとおりに改変してしまう能力…時間平面の歪曲、自律進化の可能性…これらを観察するだけで本来接触するはずのなかった三大勢力を、ハルヒは無自覚に集めてしまったのです。キョン達SOS団メンバーはハルヒの願望とイライラがもたらす異常事態の処理や、ハルヒの退屈しのぎのために奔走することになる。無口無表情な宇宙人と、迂闊で無知な未来人と、イエスマンの超能力者が送る一人称非日常エンジョイノベル、それが「涼宮ハルヒの憂鬱」なのです。

一人称非日常エンジョイノベル

 今やライトノベルブームの代表格のように言われているこの作品ですが、全然ライトに(軽く)感じないのは、壮大かつ緻密に計算された多重時間構成によるものなのか、涼宮ハルヒという暴走超特急に振り回されるキョンの徹底した一人称視点(本名さえない)と読者の視点がリンクして同じように疲れてしまうからなのか…なんとも距離感を計りかねる不思議な作品です。徹底されたキョンの一人称視点による総ツッコミ文体は、心のツッコミと言葉のツッコミの境界線を敢えて曖昧にしてあり、そこに更に読者自身もキョンにツッコミを入れるという世にも珍しい独特のスタイル:多重ツッコミ構成が出来上がっていて、モノの例え方の端々に、作者の読書体験・引き出しの多さをそこはかとなく感じさせます。なにかとアキバ系特有のヒットという先入観で評価されがちな作品ですが、その本質は野心的な仕掛けに満ち溢れた骨太なSF小説「一人称非日常エンジョイノベル」なのです。

 個人的には長門とキョンのさりげないやりとりが、全編を通じてのお気に入りです。長門有希というキャラクター個人の表層的な要素に萌えているのではなく、SOS団で過ごす騒がしい微妙に非日常な日々の中で、ミクロン単位で変化している長門の心を読み取れるキョンとの信頼関係をこそ素敵なものだと私は感じています。そして、その先に待ち受けるものが何であるかも無意識で知っている。だからこそ、この何気ない日々のやりとりのひとつひとつが大切なものだと思えて来るのでしょう。

世界の中心とか言われている女の子の周辺で、
肩をすくめて「やれやれ」と溜息をついてみる

 涼宮ハルヒは確かに身勝手で自己中で抜群の存在感を誇る物語の中心ですが、アドリブを連発する天然監督のようなものであり、舞台劇の主役ではありません。台風のようなもので、周辺では暴雨が吹き荒れているがその中心は嘘のような無風。そんなハルヒの気まぐれとツンデレに振り回されつつも、得体が知れない背後関係があってもすべてを飲み込んで仲間を信頼しているメンバー全員が主役であり、それぞれがSOS団に欠かすことの出来ない存在になっています。自分には何も特別なモノはない。それでも、すべてを無かったことにするチャンスは何度かあったが、それでもキョンは、世界の中心とか言われている女の子の周辺で、肩をすくめてやれやれと溜息をつく日々を選んだのですから…

 この作品のどこがどう面白いのかを、言語のみによって伝達するのは困難な事なのかも知れません。この作品を読んだ後には大抵の不思議には驚かなくなってしまいます。未来を意図的に改変しようとする未来人や、情報フレアを起こそうとする思念体の別勢力や、機関の急進派とかを人智を超越した連中を相手にしながら、大胆不敵に「別に出てきても構わないぜ」と言えてしまえるキョンと精神リンクしてしまった読者は、今やもう立派なSOS団員である。今すぐハルヒがドアを蹴破って登場して、読者の首根っこを掴んで連行されてしまったとしても、そんな非現実的な現実が楽しいと思えることだろう。そして逆説的に何事もない現実的な現実も貴重なものだと思えてくることだろう。とてつもない大風呂敷小説でありながら、その実はSF方面ではなく日常方面にこそ主眼が置かれている。谷川流氏の紡ぎ出す独特の文章バランス感覚は、稀有な存在といえるでしょう。ライトか本格かとかブームとか関係なく、ひとつの小説として是非一度読んでみて欲しい逸品です。

First written : 2006/11/27