アカギ
マンガ作者:福本伸行
 ギャンブル・麻雀  狂気の異端麻雀  1〜19巻 
連載:近代麻雀

「アカギ」とは?

 ある雨の日、多額の借金の棒引きを賭けた勝負が行われていた場末の雀荘に、ひとりの少年が迷い込んできた。チキンランの生き残りで警察に追われていたこの見ず知らずの少年に、敗色濃厚だった南郷はただならぬ才気と閃きを感じて、この大勝負の全てを託すことにした。わずか5分ほどルールの説明を受けただけで、役さえ知らないで始まった勝負だったが、少年は恐ろしいまでのスピードで進化していった…その少年の名は赤木しげる。年は13歳…これが、後に裏社会を震撼させる天才アカギ伝説の始まりであった…

 ギャンブル漫画界の異端児にして福本伸行が最も得意とするギャンブル「麻雀」、そしておそらく福本麻雀マンガ史上最高の天才雀士「赤木しげる」の若き日の伝説の勝負を綴った、狂気・異端・羅刹・神域の麻雀マンガ、それが「アカギ」なのです。

バカな真似ほど…狂気の沙汰ほど面白い…!

 福本ギャンブルマンガといえば、新種の特殊ルールによるからくりを逆用したイカサマ合戦、というイメージがあるかもしれませんが、この「アカギ」においては、イカサマというものは、一部の例外を除いて基本的に存在しません。もっとも、ルール云々以前に、対戦相手も常軌を遥かに逸した反則スレスレの怪物なんですけどね。そして、アカギのどんなに無謀に見える暴牌や、絶対に考えられない待ち牌にも、そこには必ず確固とした論理的思考に基づく根拠が存在しているのです。ただの役作りする麻雀ではなく、捨て牌からの読みでも場の流れでもなく、幾重にも積み重ねられた相手の心理を完全に読みきり、ただひとつの当たり牌を絡め取ってしまう…その場を丸ごとコントロールしてしまうほどの高次元論理に裏打ちされているからこそ、アカギの天才性は更に際立つのです

 しかし、アカギという漫画は論理だけでは到底語りつくせるものではありません。虚を実と言いはるために、ためらいなく身を削り血を流す。勝負を常に今一時と定め、己の中の時間を煮つくし濃くしていくから単なる思考や集中を越えた、神がかった脳波…「念」に到達する。「安心」こそ毒!博打を打つ人間がその「甘さ」を追うようになったらもう終わり!素人はいつもその誘惑に負ける…!強打して自爆する素人など稀。大抵は「安心」という重りを体に巻きつけて溺死する。不合理こそ博打であり、それが博打の本質、博打の快感。不合理に身をゆだねてこそギャンブル…!そう、焼かれながらも、人はそこに希望があればついてくる。まだまだ終わらせない…!地獄の淵が見えるまで!どちらかが完全に倒れるまで…勝負の後には骨も残さない…!そして、この世の中…バカな真似ほど…狂気の沙汰ほど面白い…! 作中のこれらの言葉は、福本ギャンブルマンガの特性を説明するのに最も適した言葉なのかも知れませんね。

考えるだけ無駄…天衣無縫の闘牌…解析は不可能!

 前項では、アカギの麻雀は理論的だと書きましたが、それは結果として解説されるから「ああ、なるほど!」と頷けるわけであって、実際にその1牌を切るシーンを見ながら、そこにどんな理論があるというのか、到底理解することなどできないと思います。なぜ14種12牌の選択肢からたった1牌の当たり牌を言い当てられたのか? 一度でもミスをすれば掛け値なしの死が降りかかるそんな場面でさえ、なぜそんな危険牌を平然と切れるのか? 怒涛の如く押し寄せる得体の知れない恐怖・逆理・狂躁…これは、わずか1牌を切るだけで単行本をまるまる1冊使ってしまうこともあるほどに、完全に読者をその勝負の場に引き込んでしまう福本麻雀マンガだからこそ許される特権だと思います。

 アカギの麻雀は、あらゆる理を尽くしても解析は不可能です。でも、それは当然のことなのです。もともと、凡人の…いや、生者の考えの及ぶ範疇にはないのですから!死など微塵も恐れない死者の麻雀。それはまさに天衣無縫の闘牌…ゆえに解析は不可能…ただそこに…天の意志があったと言うしかありません。麻雀というギャンブルが持つ無限の可能性を追求し続ける福本ワールドはどこに辿り着くのでしょうか?少なくとも、読者の想像の域に止まるものでないことだけは確実でしょう。

First written : 2004/11/11
Last update : 2004/12/25