monthly Book Review
アルスラーン戦記
作者 : 田中芳樹
出版社 : 角川書店

田中芳樹流ファンタジー

 アルスラーン戦記は、田中芳樹氏が描くペルシャ風の世界観を持つファンタジー小説です。「銀英伝」「創竜伝」と並び賞される名作であり、唯一の長編文庫本小説でもあります。この中でもアルスラーン戦記は「一般受け」という意味では一番知名度があるかもしれません。それは田中流の真髄でもある「敵対関係・善悪の観念・歴史的視点」が「アルスラーン」というひとつの結論として割り切れるからです。

 同時に、このシリーズは田中氏の作品の中で最も戦術に特化した作品であるとも言えます。ダイナミックな戦略と緻密な戦術描写の魅力が遺憾なく発揮されています。「戦士の中の戦士:ダリューン」と「戦場の芸術家:ナルサス」の二人の天才は、正に田中流そのものが擬人化したかのような存在です。他の登場人物との軽妙な毒舌の掛け合いも絶妙。人気が出るのも無理からぬことです。

理想を実現するための現実

 この作品のテーマは「理想を実現するための現実」です。アルスラーンという君主の成長を通じて、理想を実現するために必要なものを語りかけているのです。アルスラーンの武勇はダリューンに及ばない、智略はナルサスに及ばない。しかし、アルスラーンは彼らの良き止まり木として士心を掴むことができる。臣下として忠誠を強要するのではなく、友として何かしてあげたいと思わせてしまう不思議な魅力があるのだ。

 『国の礎ともいうべき奴隷制度を廃止する』 アルスラーンの志は高い。だが、どんなに立派な理想を持っていても実現させられなければ意味が無い。君主とは、何をなそうとしたかではなく、何をなしたかで歴史的評価は決まるのだから。しかし、アルスラーンは現実的なバランス感覚も持ち合わせている。

「だけど、歩き出さぬことには、目的地には着けないだろう。遠すぎるからといって歩き出さないのでは、永遠に到着できない」

 このアルスラーンの言葉は当たり前のことだけど、これを意識して実行できるひとは少ない。「できないからやらない」では何も始まらない。理想を実現するためには現実の問題を踏まえた上で、自分のできる事からやっていこう。一歩を踏み出す勇気。それが変わるということ、変えるということなのだから。

遅筆王:田中芳樹

 もはや常識となってしまった田中芳樹氏の遅筆(本人は慢性スランプと呼んでいる)。あとがきの編集者とのやりとりの中で「予定は順調に遅れてますよ」などと公言する始末。田中氏の作品の中には未完結の長編シリーズが何本かあるのですが、危うくアルスラーン戦記も未完の作品になりかけました。何しろ、9巻と10巻の間が実に7年3ヶ月も空いてしまったのですから!!

 危うく2回もオリンピックができてしまうような、気が遠くなるような停止期間をファンは耐え抜いた。あまりに長い時間待たされたために、「アルスラーンの10巻が出る」との情報も俄かに信じられなかったし、さすがに細かい話は忘れてしまったので、1〜9巻を読み直してから10巻を読み始めたものです。ここまで気長に支持し続けてくれる読者を持つ作家も珍しいと思う。どうか今後しばらくは余計な仕事を増やさないで、今抱えているシリーズを片付けて欲しいものです。でも、作家として知的好奇心を不当に抑えるのも問題がある。読者としての願いと、批評家としての願いは別問題ですからねぇ…


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