その後のEVANGELION
製作:  しづきみち、うづきなおや、いづきれい
サークル:  美術部あーとくらぶ
既刊:  1〜18巻(総集編1〜3)

「その後のEVANGELION」とは?

(C)1997-2003 美術部/しづきみちる

 1997年7月、新世紀エヴァンゲリオンの完結編となる劇場版が公開されました。大多数のエヴァファンがあの救いの無いラストシーンに落胆し憤慨したあの夏の日以降…空前の隆盛を誇っていたエヴァ系の同人サークルが次々と離れていく中で、あるところに、あのラストに創作魂を刺激されたハッピーエンド好きの同人作家さんがいました。終わってしまったものはもう仕方が無いけど、「もし、シンジとアスカがあの「その後の世界で」二人だけで生きていくとしたら、どうなるんだろう?」その発想から生まれたエヴァンゲリオン・アフターストーリー、それが「その後のEVANGELION」なのです。

 「その後のEVA」をジャンル分けするとすれば、正統派のラブコメでしょうか。なんだかエヴァとは最もかけ離れた路線のような気もしますが、実はそうでもなかったりします。エヴァほど「if」が語られる物語は他にはありません。本編のエヴァは誰の理解も望まず、すべてを壊して完結してしまった。でも、終わりがあるからこそ、今までの記憶は思い出になって美化されて行き、ひとりひとりのエヴァが始まる。だから気持ちの上ではエヴァは終わってはいないのです。それに、今では本家本元のガイナックスの方がよっぽど 「なんでもあり」状態ですからねぇ…

西暦2016年 新世紀0年、
二人の 二人きりの 二人だけの物語

 「その後のEVA」の物語の舞台は、劇場版ラストのサードインパクトですべての人間が補完されていなくなってしまった世界。主人公はシンジとアスカの二人。西暦2016年、新世紀0年。二人の、二人きりの、二人だけの、二人ぼっちの物語です。無駄とは知りつつも人類探しの旅に出た二人。世界がこうなってしまったことに責任を感じているシンジを、振り回したりからかったりして不器用だけど励まそうとするアスカ。新世紀になっても”あいかわらず”な二人の旅は、やがてアスカの故郷ドイツを目指すことに…(ここまでが17巻までのあらずじです。ドイツに着いてからも、もちろん、二人の物語は続きますよ!いつものように、ね)

 この旅によって、シンジはちょっとだけ大人に、アスカはちょっとだけ素直になりました。付かず離れずいつも通りの日常を過ごす二人の姿には微笑ましさすら感じます。個人的にアスカのファンである私は「可愛げのあるアスカ」を眺めているだけで幸せな気分になれました。物語には必ず終わりがあるけれど、終末から始まる日常には終わりはありません。そして、これこそが私が望んでいた「終末の続き」だったのですから。

幸せの在り処(ありか)

 ここで、作中にあった私のお気に入りのアスカの台詞をご紹介しましょう。

「後悔はしてないわ。私は私の意志でこの世界を選んだんだから。神様に選ばれたつもりもないし、神様に取り残されたわけでもない。私がここにいたいと思ったからここにいるの。生きていれば幸せになるチャンスはいくらでもあるんだから…」 (「その後のEVANGELION」第7巻より)

 凶悪犯罪を繰り返す青少年や、幼児虐待を繰り返す親たちに聞かせてやりたい台詞ですね。劇場版EVAで冬月先生も言っていたように、ヒトはどこでもヒトは生きていこうとするところに、その存在があります。それを否定する事は、ヒトであることを放棄する事と同義です。幸せの定義は難しいけれど、幸せとは、具体的なものではなく抽象的なものであり、「待つ」ものではなく「そうあろうとする」ものだと思います。意志を持って生きるという命の奇跡。それがヒトの幸せというものなのかも知れませんね。

※画像使用許諾:2001/01/22
First written : 2001/02/01
Last update : 2003/10/07