過去ログ
2008年   1月  2月  3月  4月<  5月  6月  7月  8月
2007年   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
2006年   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
2005年   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月
2004年   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
2003年   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
2002年   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
2001年   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

  

 2001/01/31 (水)  「報道の在り方」

先日起きた「ホームに落ちた人を助けようとして二人が死亡した事件」について、少し含むところがあるので言っておこう。今回の事件そのものは決して珍しいものではない。むしろ問題なのは報道のあり方である。

「ホームに落ちた人を助けようとした二人の尊い命が失われました」ていう報道、どこかおかしくないですか?ホームに落ちた人は数に入っていないのか?酔っ払いには人権はないというのだろうか?

それと滑稽なのは、二人の行動をマスコミがあれこれ分析することである。「勇気がある」とか「思慮に欠ける」とか、そんなこと死んでしまった後に言ってもすべて無意味だ。本当に御悔やみの心があるなら、家族縁者をそっとしておいてあげるべきだ。マスコミの無神経さには、憤りすら感じてしまう。

 

 2001/01/30 (火)  「入稿前夜」

いよいよ月刊GM研の入稿前日。関係各位への通知も済ませ、あとは最終校正を残すのみとなった。パソコンに向かって延々と朗読する様は、他人目から見たらかなり間抜けだと思う。いや、むしろ怖いかも。本当は他人に客観的に校正をしてもらうのが一番いいのだけどね。

学生時代はとにかく「書きたいことを書く」というのが目的だった。でも、今回は「紹介者」に徹したレビュー、つまり「他人にどのように評価してもらえるか」を前提にして書いた。これは今までにないプレッシャーだった。他人の揚げ足を取るのは簡単だ。でも、自分の足でバランスを取って立つのは凄く大変なのだ。

その最たるものが小説である。頼れるものはなにもない。不安のあまり、夢の中まで物語に追い立てられる。寝つきも目覚めも最悪… でも、それでも書きたいと思った。この物語をみんなに読んでもらいたいと思った。この気持ちを大切にして、なんとか完結まで頑張ろう!

 

 2001/01/29 (月)  「反動」

ああ、やばい!反動が来た! 月刊GM研2月号に掲載する小説2話分を書き上げた翌日、強烈な虚無が襲ってきたのだ。創作の反動はいつものことなのだが、今回のはかなり強烈だ。時間があまったからゲームをやってても退屈が襲ってくる。本を読んでいても集中できない。ストレスで甘いものばかり食べてしまう…

普段ならぱーっと遊んでストレス解消すれば済むのだが、今回ばかりはそうもいかない。今回は「仕事したくない病」ではなく、「仕事しなきゃ病」なのだから。小説に没頭しすぎたために加速した想像力に、執筆ペースが追いつかないのだ。夢の中で作品に追い立てられて目覚めは毎朝最悪…

こんな調子で本当に全24話を完成させることができるのか?

 

 2001/01/28 (日)  「風呂はいいねぇ」

風呂はいいねぇ。まさに人類が生み出した文化の極みだよ。私は風呂が好きだ。学生時代はガス代を気にして、ずっとシャワーばかりだったが、今は週末だけは湯船に湯を張るようにしている。

湯船に浸かると本当に疲れが取れる。風呂は命の洗濯。まさにその通りである。昨日買ってきた入浴剤「旅の宿」を早速試してみる。今日は別府の湯(別府温泉を再現したものではない)。ああ、気持ちいい…小説執筆で飽和した頭と、疲れた指先に染み渡る…極楽、極楽。

ついつい長い風呂になってしまった。まぁ、いいや。小説も第二話が書きあがったし、今夜は祝杯!風呂上りのビールでご就寝と行きますか! ああ、親父街道まっしくら…

 

 2001/01/27 (土)  「創作への道」

部屋にこもって小説の集中執筆に取り掛かる。極限まで自分を追い込んで臨んだこの缶詰だったのだが、小説はあっという間に目標の第一話を書き上げてしまった。これまでにさんざん悩んで悩んで、夢に出てくるまでにリアルな映像意識を確立し、脚本となる仮原稿まで作っていたのだから、当然と言えば当然かもしれない。

しかも、書いているうちに興が乗ってきて、文章はより軽妙に、演出はより自然なものになっていった。調子に乗って、第二話の執筆にもとり掛かったのだが…なかなか思うようにいかない。第一話が序章的なお話だったので気楽に書けたが、第二話は物語本編の幕開けの最重要ポイント。当然そんじゃそこらの内容では納得できないのだ。

とりあえず書くだけ書いてみるが、もし質的に納得的なければ、第二話の掲載は見送ることにする。さあ、すべては明日!夢の中でしっかりと映像意識を創り上げて勝負することにしよう。

ああ、創作とは孤独な戦い也。

 

 2001/01/26 (金)  「セガの行方」

業界驚愕の「Dreamcast生産中止」のニュースに、業界は敏感に反応した。セガ株は連日のストップ高を記録して急騰! つまり、業界はDreamcastの生産中止を「大歓迎」したのだ。このニュースに「残念だ」と思っているのは昔からのゲーム人だけである。

私はサターン時代に入ってからセガのハードを使うようになったので、生粋のセガファンの心情は分からない。だが、セガが「誇りよりも生き残ること」を選択したことは正しいと思う。問題が今後の方針大転換を本気で行えるかどうかにかかっている。

ソフトメーカーとしてどのハードとパートナーシップを組むのか? セガのソフト開発力を継続的に発揮できるのか? ゲームセンターはどうなるのか? セガの今回の決断は、長い再生のシナリオの始まりに過ぎない。一寸先は闇なのだ。

そうこうするうちに、「シェンムーII」が発表に…本気でセガは変わる気があるのか(怒)!

 

 2001/01/25 (木)  「自転車」

自転車の後輪がパンクしてしまった。思えば4ヶ月間、毎日欠かさず約10キロを走行していたのだから、概算でも1200キロ!これは本州縦断できる距離である。そう思えばパンクして当然である。そこいらの通勤マイカーよりもよく走っているのだから。

自転車屋に修理に出したところ、チューブの損傷が激しいため交換が必要だった。修理費は2000円。妙に安い気がするが…気のせい?その場ですぐに修理してくれたので、自転車のプロの技も拝見することができた。手際よくチューブを交換して、所要時間は約10分。なかなか良いものを見せてもらった。

この数日間自転車が使えなかったので、地下鉄で通勤していたのだが、駅まで結構歩くし、列車待ち時間もあるので、結局自転車よりも時間が掛かってしまった。体力的には楽なんだけど、運動不足になりそう。やっぱり自転車が一番だね。

 

 2001/01/24 (水)  「焦燥!」

焦ってます!ええ、焦ってますとも!焦って何が悪い!
…と、取り乱しているのは月刊GM研発行まで残り1週間を切って、プレッシャーをひしひしと感じているのだ。製作は予定通り進行している。それどころか1日余裕が出来たくらいだ。

それでも安心できないのは、やはり小説が手付かずで残っているからだ。コンテも既に出来ていて、後はもう書くだけなのだが…今後の構想を考えると夜もおちおち眠れない。何話構成にするのか?伏線をちゃんと活かせるのか?読者は本当についてくるのか?ああ、今日も寝不足になりそう…

小説は次の土日に集中執筆する予定。書きあがるまで缶詰。そのくらい自分を追い込まないと、とても書けそうに無いから。悩んでいても仕方がない!書け!書くんだジョー!(取り乱しっぱなしですみません)

 

 2001/01/23 (火)  「探偵紳士DASH(2)」

ハードボイルドアドベンチャーゲーム「探偵紳士DASH」をクリア! 点と点が結びついて謎が解かれていく快感、驚愕の急展開、くすぐったいほど魅力的なヒロインたち…本当に良く出来たシナリオである。菅野ひろゆき、恐るべし!

でもゲームとしては結構難しい。私がクリアできたのはネットの攻略記事のおかげである。特定の時刻に特定の場所に行かないとフラグが立たないシステムなので、テキトーにやっていたらクリアは無理かも。従来のコマンド総当り式からの脱却は今だ成功せず、といったところかな。

このゲームで一番印象に残ったのは、徹底的に構築された世界観に裏付けられた「メイ=ドロイド」という機械人形の少女「ミント御剣」の存在。主人公とともに生活していくうちに感情が芽生え、それはやがて愛情へと変わっていく。真実の愛とは何か? それは彼女が最後の最後で身を持って教えてくれます。奇跡の代償を 省みることなく…

願わくは、この名作がドリキャスの没落の影に埋もれないことを祈りたい。

 

 2001/01/22 (月)  「曙引退」

「曙引退!」のニュースに驚愕。貴乃花よりも若乃花よりも曙が好きだった私にとって、これは衝撃的なニュースだった。私は曙の圧倒的な強さに魅せられて相撲が好きになった。あれからもう十余年…ついに来るべきときが来てしまったという感じだ。あぁ、諸行無常…

長く怪我に苦しめられていた曙が、去年は見事復活して年間最多勝も獲得。完全復活したと安心していたら、突然の引退表明。寝耳に水とは正にこの事。やはり寄る年波には勝てないのか…

世代交代は避けられない。だが、肝心の後に続くべき若手に魅力が無い。相撲の人気離れも当然である。相撲協会は伝統と格式ばかり重んじているが、それは最早時代錯誤である。スターを祭り上げてでも人気のてこ入れを計らなくては、相撲を志す人材資源が枯渇しかねない。決まり手を増やしたり、ナベツネを横綱審議委員会に加えている場合じゃないぞ!

 

 2001/01/21 (日)  「製作快調?」

月刊GM研2月号のトップページに使用するイラストを描こうとしたが、画材が全く無い事に気がついた。鉛筆すらないのである。しかもブランクのためにまともに線すら引けなくなっていた。デジタルペイントはまだまだ勉強不足…こ、困った!

そこで、ちょうど小説の設定資料の中にあったイラストを流用する事にした。原画を薄めにコピーして、鉛筆で主線を補強してあっという間に出来上がり。自分で言うのもなんだが、いや、これはこれでなかなかのものである。シンプルかつアニメ臭くなく…デッサンはかなり甘いけど。小説の展開に合わせてイラストを書き下ろしていこうかな?って、肝心の小説の方はさっぱり進行していないが…本当に間に合うのか?

 

 2001/01/20 (土)  「物欲紀行外伝」

毎月20日は大阪市の「ノーマイカーデー」。この日は600円で市営地下鉄の一日乗り放題。これを利用して普段は行くこと無い梅田方面を回ってみることにした。まずは梅田の「まんだらけ」を攻略。ほぼ1年半ぶりだったが、店内はあまり変わっていない。むしろ品揃えに物足りなさを感じてしまった。この1年ですっかりマニア商品に関する目が肥えてしまったのだろう。

その後お好み焼き「ゆかり」で昼食をとった後、地下鉄で京橋のアニメイトへ移動。阿倍野ベルタのアニメイトとは異なり非常に広々とした店内と余裕の品揃え。探していた貴重なCDを入手することができた。でも、個人的には阿倍野ベルタの雑然とした情報密度の高い店の方が好みである。

その後地下鉄で心斎橋の東急ハンズに移動。だが、残念なことに捜し求めていたB2サイズのポスターを収納するクリアファイルは扱っていなかった。東急ハンズにないものがどこにあるのか…失意のまま帰り道に阿倍野ベルタのアニメイトに寄って見ると、あっさりB2ファイルが売っていた!…残念ながら在庫切れで買うことは出来なかったが、見通しが立っただけでも良しとすべきだろう。

久しぶりに定番以外のコースを回ったが、結局入るお店はいつもの分野だったりする。普通の観光なんてする気は毛頭ないが、友人縁者に「大阪を案内してくれ」と言われると困ってしまう。友人縁者諸君、私にまともな案内を期待する方が間違っているぞ!

 

 2001/01/19 (金)  「ファイナルファンタジーX」

今週のファミ通に「ファイナルファンタジーX」の画面写真と開発者インタビューが載っていた。グラフィックの美しさとかはPS2の実力を持ってすれば今更驚愕に値するようなものではない。しかし私は仰天した。それは「南国系の爽やかさ」と、戦闘システム担当に「フロントミッション」の土田氏が関わっていることである。

今回の「X」は「VIII」を製作した「北瀬組」が担当しており、非常に挑戦的なRPG改革をもたらそうという意気込みが伝わってくる。その一端が伝統的FF戦闘システムの改革である。アクティブタイムバトルの廃止!経験値概念の廃止!…おぉ!ぞくぞくしてきやがったぜ!進化という冒険、これぞFFではないか!

気になる発売日は「2001年春」となっているが、この時期に来てそれは有り得ない。ゲームの内容から判断して、本命は「2001年夏休み直前」だろう

 

 2001/01/18 (木)  「月刊GM研執筆開始!」

月刊GM研再開に向けていよいよ始動!2月1日の復刊に向けて原稿の執筆を開始!長らく停滞していた「gmken.com」だったが、悩んでいても何も解決しない。動き出さなければ何も変わらない。今は体当たりしていくしかないのだ。自分に出来る何かを見つけるために…

1年ぶりの本格的なレビュー原稿執筆に少々戸惑ったが、そこは昔取った杵柄。すぐに興が載ってきた。こうして無心に原稿を書いていると本当に落ち着く。以前は週刊ペースでWEBマガジンを作っていたのだが、今度の復刊は月刊ペース。その理由は物理的に時間が足りない事もあるが、週刊ペースでは十分な推敲や精度の高い情報を掴めないのだ。量ではなく質で勝負しなければならないが、それは望むところ!

唯一の不安は連載小説の行方である。作品はもう既に決まっているのだが、設定をこの時期になって大幅に変えてしまっため、まだ全く執筆に取り掛かることができない。どうなることやら…

 

 2001/01/17 (水)  「ラブひな(10)」

「ラブひな」の10巻を入手。いよいよ最終回へのカウントダウンが始まった内容になっていて、少し切なくなった。私は連載を読んでいないので、作者:赤松健氏の日記しか情報源がないのだが、その分想像が膨らんでしまうのだ。どんな終わり方をするのか楽しみである。

大好きな作品が終わるのは寂しいものである。しかし始まりがあれば終わりがあるように、出会いだあればまた別れもあるのです。人気に引きずられて終わり時を失った作品がこれまでいかに多かったことか…作者にとって作品は我が子同然。でもだからこそ我が子の旅立ちを見守らなくてはならない。

本当に良い作品というものは、作者の手を離れてひとり立ちしていくのだ。キャラクターが個性を持ち、ひとりでにストーリーが出来ていく。それは時に、作者の構想を逸脱してしまうこともあるだろう。それをいかに制御するのか?それが作者の最後の仕事なのである。

 

 2001/01/16 (火)  「探偵紳士DASH」

サカつく特大号にかまけてずっと手付かずだった「探偵紳士DASH」を現在攻略中なのだが…これはイイ!お色気ムンムン&知的好奇心ををくすぐるハードボイルド本格探偵アドベンチャーゲーム!シナリオの切れ味抜群!すっかり魅了されてしまった。

ゲームデザインは「YU−NO」「エクソダスギルティ」などの名作を世に送り出した「菅野ひろゆき」。この人の描く世界には常に「男と女の駆け引き」が事件と絡んでくる。とにかくシナリオを盛り上げるのが上手い人なのだ。多分この物語の最後には泣かされてしまうだろう。その瞬間が楽しみである。

 

 2001/01/15 (月)  「さらなる延期」

現在製作停滞中の「gmken.com」。決してやる気がないのではなく、方向性がまだ固まっていないのだ。とりあえず見切り発車で作ってはみたものの、いざ運営という段階になって作業量の膨大さに呆然としてしまった。また、私が目指す方向性そのものが変化してしまった影響も無視できない。今後も「批評」というスタイルを貫き通すかどうかも未定である。

考えられる今後の方向性は、BBS形式の批評ではなく、レビューを主体とした批評になる可能性が高い。BBSは個人では管理しきれないし、実りのある議論ができるとも思えない。完全委任型のシステムも検討中。

もうひとつの方向性は、自己表現の場の追求。来月からは「月刊GM研通信」を復活させ、批評家としての自分を磨く。そして、夏コミに向けて同人誌の製作も開始。完全オリジナル小説も何本か書き下ろす予定である。

やりたいことは尽きることは無い。でも時間と気力が追いつかない。当分の間試行錯誤が続くと思いますが、気長に見守ってやって下さい

 

 2001/01/14 (日)  「サカつく特大号(6)」

今日も今日とて「サカつく特大号」。シュバルツ大阪が常勝クラブに成長したので、あとはタイトルを総なめにすべくU−22代表監督就任したのだが、これが大きな間違いだった。このゲームでは10年目を目安に架空選手が急速に成長するようになっている。そこでようやく世界と渡り合えるレベルになる。それ以前で代表監督を引き受けてしまうと、現役Jリーガー中心の非常に辛い戦力で戦わなくてはならないのだ。

また、代表監督を引き受けると、U−22、U−23、W杯予選、W杯の4年間拘束されることになるので、自分のクラブの育成ができなくなってしまうのが痛い。いくらこのゲームが偶然に左右されなくて、選手の配置や戦術を変更することで試合を制御できると言っても、セーブ&ロードをいくら繰り返しても圧倒的な実力差を覆すのは至難の業。時には常識を超えた奇策(わざとレッドカードで退場してみたり、ゴールキーパーをFWに起用したり)すら必要となる。

…さすがに疲れたので、今週はやり残したゲームをやることにしよう。「AIR」「探偵紳士DASH」「BLOOD〜」うっ、多すぎるか?まぁ、やるだけやってみよう。

 

 2001/01/13 (土)  「日本橋物欲紀行」

日本橋で兄と待ち合わせ。短期出張で大阪に来ている兄に日本橋案内をするためである。兄も日本橋は初めてではないが、マニアックなお店はほとんど知らない。まあ、私と兄では同じマニアでも守備範囲がかなり違うのだけどね。とりあえず共通の趣味であるCDを中心に攻めてみた。普段は回らないお店にも寄ってみたので思わぬ収穫があった。

その後、自作パーツ店を数件回った。気になったのはCDRWドライブ。12倍書き込みで2万3千円。12倍書き込み+DVDコンパチで3万2千円。安くなったものである。でも、最近は滅多にCDを焼くことも無いから購入は見送った。今はデジカメの方を優先すべきだからね。

冬コミで取った写真が上がった。短時間で取ったため、かなり不満の残る出来である。手ぶれ・指写り・フレームアウト…いくら使い捨てカメラとは言え、もう少し丁寧に取れば良かった…次回の夏コミにはデジカメを持って行こう(まだ買ってもいないけど)

 

 2001/01/12 (金)  「ネットゲームの未来」

ひびきの高校が3月いっぱいで閉鎖されることになった。といっても、これはネットの世界のお話。この「ひびきのネット」はゲーム「ときめきメモリアル2」をフィーチャーした仮想高校であり、製品のIDを生徒証代わりにして擬似学園を無料で運営していたのだ。

開始当初は接続者が少なかったが、生徒(ユーザー)が主体となったコンテンツ拡充によって、約1年余りに渡って運営されてきた。私は普段はほどんど接続していなかったのだが、購買部(ネット通販)で時計を買ったこともある。いざ閉鎖が決まると寂しいものだ。

コナミサイドからすれば、これは今後のネットビジネスへのいい実験になったことだろう。しかし、取り残されたユーザーはどうすればいいのだろう?私がネットゲームが嫌いなのは、そのサービスが決して永続的に行われるものではないからだ。それは作品の本質追求と正反対にあるものである。その辺をクリアしなければネットに革命は起こらないだろう。

 

 2001/01/11 (木)  「同人のイメージ」

冬コミで買ってきた同人誌の整理をする。やはり2度目ということもあり、質量共に充実している。特に掘り出し物だったのが、「私立T女子学園」の同人誌である。非常に真面目なパロディに仕上げており好感が持てる。サークル名は「もみじみそ」要チェックである。

同人誌というと「エロ」というイメージが一般的だが、決してすべてがそうであるわけではない。エロが同人業界の90%を占めているとはいえ、中には真面目なパロディもあるのだ。同人とは、全ての創作表現を許容するものなのだから。もし満足できるものがないならば、自分で描いてしまえばいい。それが同人の魅力なのだから。

 

 2001/01/10 (水)  「サカつく特大号(5)」

久しぶりにサカつく特大号を再開。3年目の大型補強の結実となる4年目のシーズンは、最強伝説の始まりであった。試合を見ていて本当に楽しい。華麗なる中盤、鉄壁のディフェンスライン、スーパーエースの水沼貴史。4年目は全試合を直接指揮し、リセットなしで「29勝1敗」!驚異的な強さである。

特にスーパーエース水沼貴史は爆発的な得点力を発揮。30試合で39得点!それに加えて更なる補強として闘将「ドゥンガ」とジュビロの「高原」と「井原」を獲得。留学枠を視野に入れて長期的クラブ運営も開始。正に順風満帆である。

ここで問題となるのが契約年数の問題である。あまりにも急速にクラブが成長してしまったので、年棒の高騰に収入が追いつかない恐れがあるのだ。そのために複数年契約によって年棒高騰を抑えることが出来るが、選手の実力と年棒に開きがありすぎると不満を爆発させて退団されてしまう。このジレンマもこのゲームの醍醐味なんだけどね。

 

 2001/01/09 (火)  「異変?」

久しぶりの自転車通勤。いつのまにか自転車のギアが壊れていて、3速に入らない。そのため、スピードを出すためには回転数を上げるしかない。正月休みでなまった体にはこれがきつかったらしい。腿の内側表面が神経痛になってしまった。体脂肪率5%という驚異の痩身は、危ういバランスの上に成り立っているのだ。

CDウォークマンの不調の原因が判明。再生しようとしてもウンともスンとも言わなくなってしまったのだが、原因は充電電池の寿命切れだった。僅か半年も持たないのか?とりあえず普通の単三電池で代用。額面どおり32時間持つのでむしろ普通電池の方が便利なのかも?

 

 2001/01/08 (月)  「忙しい休日」

貴重な唯一の正月休みの1日は、コミケと帰省の事後処理で終わってしまった。宅急便を受け取り、写真を現像に出し、洗濯、掃除、食料調達…ゲームをする暇なんてありゃしない。まぁ、ある意味非常に健全な休みの過ごし方と言えるかもしれないが。明日からまた仕事である。マイペースで頑張るとしようか。

 

 2001/01/07 (日)  「帰還」

やっと大阪に帰ってきた。今やすっかり我が街大阪。大阪の夜景を車窓越しに眺めると、本当に帰ってきたのだと実感するようになった。今回は高速バスを使ったのだが、高速道路が雪のため通行規制&帰省ラッシュのため、通常の2倍近い7時間もかかってしまった。ゲンナリ。

日記というものは溜めるものではない。そうつくづく思う。10日分もまとめて書くのははっきり言って苦痛ですらある。思い出しならが書くのが難しいというものあるが、ネタを思い出せないもどかしさに耐えられないのだ。よほどのネタならメモを残すけど、後で面白いのはむしろメモに残らない大多数の中に埋もれているものである。人間の発想という物はそういうものである。

 

 2001/01/06 (土)  「物想ふ」

明日の昼に大阪に帰ることになったので、今日のうちに家の後片付けを済ませてしまうことにした。大量に出たゴミを仕分けし、全部の部屋に掃除機をかけ、荷物を移動し…ああ疲れる。でもそれもこれも明日で終わりなのだ。

うちの会社の正月休みが長くて本当に良かった。直系祖母の忌引は1日しか出ないし、休み中まったく会社と連絡が取れなかったから有休申請もできないし。休みらしい休みではなかったが、これもまた人生。誰もがいつか経験しなければならない行事なのだから仕方がない。それが早いか遅いかというだけの問題だ。

死んだときに何人の人間が集まってくれるかで人間の価値が決まる訳ではないが、それはその人が生きてきた証であることには間違いない。人は他人の関係の中で生きてゆくものなのだから。

 

 2001/01/05 (金)  「脱力」

遠方の親戚は7日の初七日を待たずに帰ってしまったので、やっとすこしは落ち着けるようになった。がまだまだ忙しい。香典の計算や、借り物の返却などなど…また、張り詰めていた緊張の糸が切れてドット疲労が押し寄せてきた。母が少し体調を崩してダウンし、私も風邪の引き始めの症状が…

明日から仕事のある兄を駅に送り、今日は早めに就寝。明日は久しぶりにゆっくり眠れそうだ。疲れていてこの日何をしていたのかはほとんど思い出せない…そんな一日。

 

 2001/01/04 (木)  「告別式」

いよいよ告別式当日。2部屋をブチ抜いて+廊下まで使っても入りきれない。ご近所さんも続々と記帳に訪れ、その数は220件にも達した。改めて祖母の人望の大きさを思い知った。

告別式は順調に進行したが、出棺に移る際に私がチョンボをしでかしてしまった。立ち上がろうとしたら痺れが切れて派手に転んでしまったのだ。危うく廊下下の庭のコンクリートに頭を打って、祖母に連れて行かれることろだった。怪我は左足の膝下10センチのところの打撲だが、ここは弁慶の泣き所。あまりの痛みのため、本来孫が担ぐべき棺を持つことができなくなってしまった。

そして出棺をすませて火葬場へ。よく漫画やドラマにあるような煙突から立ち上る白い煙…というようなものは嘘っぱちである。実施は複数の棺を火葬しているし、結構時間も掛かるのだ。火葬にすると人間ってこんなに綺麗に焼けるものなのかと思う。骨壷をお寺に納骨して葬儀は一応完了した。

 

 2001/01/03 (水)  「通夜」

親類縁者が続々とやってきた。顔を見たって誰が誰だか分からないが、年寄りは年寄り同士で昔話に花を咲かせていた。50人近い人数の宿を取り、料理を用意し、通夜は非常に賑やかなものになった。祭壇も完成し、生花も並んだ。外から見たら「何処の名士さんの葬式だ?」と思うような立派な葬式である。運営するほうはシンドイだけなんだが…

酒飲みの家系なので通夜の席で嫌というほど飲まされた。お酒は嫌いではないが、「酔っている自分が」嫌いなのだ。酔っても愉快にないし変化がないので楽しくないのだ。第一酔っ払いという人種が大嫌いなのだ。孫同士といっても、24歳の私が最年少で、上は41歳なんてのもいる。当然ひ孫もいる。話は最初から合う訳は無いのだ。それでも接待のため作り笑い。大人って汚いなぁ。

 

 2001/01/02 (火)  「納棺」

祖母の納棺を行う。死後硬直のため着物に着替えさせることができなかったが、なんとか棺には納まった。遺体を保存するためのドライアイスを入れ、仮の祭壇を設ける。なんかやっと葬式をしてるんだという実感が沸いてきた。

今日はもう電話が鳴りっぱなし。ほとんどの親類は明日実家に来るのだが、弔電や花輪生花や料理の手配もあるし、駐車場に公民館を貸してもらったり、お向かいさんの駐車場にテントを張らせてもらえるようにお願いしたり…父が元総務で良かった。段取りを仕切るのが上手い。

 

 2001/01/01 (月)  「訃報」

21世紀のお正月は訃報から始まった。長らく入院していた祖母の様態が急変し、そのまま他界したのだ。私たち兄弟が帰ってくるのを待ったいたのかも知れない。享年93歳。戦争と家門の栄枯盛衰を乗り越えて6人の子供を育てた偉大なる祖母…私は孫世代最年少であり、生まれたときから祖母に面倒を見てもらっていた。3年前から「覚悟しておけ」と言われていたので涙は出なかったが、人の死というものを深く考えさせられた。

さっそく喪主である父が親戚とご近所に葬儀について説明する。お正月休みなので連絡は取りやすく、ほぼ全員が実家に来ることになった。和尚さんに来てもらって枕木(うろおぼえ)をしてもらった後、葬儀屋さんに来てもらって葬式の段取りをしてもらったが、3日が友引のため、告別式は4日に行われることになった。そのため遺体を長期間保存する必要があり、棺にドライアイスを入れなければならない。納棺は明日の朝に行われることになった。